社会問題研究会―災害と宗教― 「震災関連特別報告会」開催報告

智山伝法院嘱託研究員 登嶋巌信

 去る平成26年10月27日、現代宗教研究室の主催で、震災関連特別報告会を開催致しました。講師に中越防災安全推進機構復興デザインセンター長・災害復興学会理事の稲垣文彦先生をお招きし、「中越の震災復興に学ぶ―宗教施設への公的支援、中山間地域の過疎化対策、震災アーカイブの構築―」と題してご講演をいただきました。以下、その要旨を記します。
 先生は、新潟県中越大震災直後から山古志村の災害救援ボランティア活動に関わり、2005年5月、地域復興のための中間支援組織「中越復興市民会議」を創設し、事務局長に就任。現在は社団法人中越防災安全推進機構復興デザインセンター長として、全国の中山間地域の再生や防災対策に力を入れていらっしゃいます。
今年は中越の震災から10周年に当たります。今回は10年間のご経験から、どのように山古志村の人々が地域を再興していったのか、またそこから見えてくる今後の地方のあり方、災害からのより良い復興のヒントを語っていただきました。以下、講演内容のポイントをご紹介いたします。

〈中越地震による問題〉

 中越地震は田舎の山地での震災であり、山の崩壊が最も深刻な問題であった。山古志村は全村避難となり約2000人が避難したが、その後村に戻ったのは6割程度で、4割の人は利便性のために街に移り住んだ。それによって将来抱えるはずであった深刻な過疎化高齢化という問題を早くに体験することになり、人口が半減した村での持続可能性が課題となった。

〈復興で重要だったこと〉

 復興で一番大事なものは住宅であり、職場と家があれば何とか生活していける。山古志村では住宅の9割5分が保険に入っていたので早期の復興が可能となった。また、住民が率先して道路の工事など災害の復旧に当たったことも大きな助けとなり、3年2ヶ月で皆、仮設住宅から出ることができた。さらに、復興基金から神社(鎮守様)に対して公的支援があったことも重要である。これは神社がコミュニティーの役割を果たすと目されたからである。住民の方々は住宅再建の前にお墓を直していた。お盆・正月などの年中行事がリズムになって生活再建していった。

〈支援者との関係〉

 都会の大学生がボランティアで入って支えてくれた。しかし、ほとんどのことが村人でできることばかりだったので、却って学生達の方が色々と教わることが多かった。その中で被災者と支援者の立ち位置が変わってきた。被災者は自分たちで賑やかな顔をしてはいけないのではないかと思っていたが、学生達との交流のお陰で明るくなり、村に活気が出てきた。集落の話し合いにも女性がバンバン参加するようになり村作りに参画するようになった。自信、誇りをもって村を作ることになっていった。

〈地域の活性化〉

 時代の流れとして、都会から若者が田舎に移り住んでおり、若い女性も多い(移住女子)。これによって高齢化率を下げている集落があり、世代間での人口差をなくし、世代バランスを整えることができた。人口が減っても世代のバランスがとれていれば村は存続できる。そういう状況の中で、大事なことは地域での消費を心掛けることである。例えば、石油ストーブでなく薪を使った暖房を使うことによって、石油の費用は外に出て行かなくなる。このように、地産地消や自給率を上げることによって収入が地域で循環することになり地域内が潤い活性化されていく。

〈真の復興とは?〉

 復興とは何か? それは各々の幸福感であり、人口減少社会の中での幸せ探しである。災害は時代の変化が大きく関係している。山古志村は震災により、地方の活性化、過疎化高齢化対策などの地方創生をいち早く経験した。今後の地方は、若年女子の減少による人口減少・地方消滅などと言われて不安視されているが、決して暗い話などではなく、山古志村のように明るく生き生きと乗り越えることができると確信している。
 講演をお聴きして、山古志村の復興は、結果として村の活性化に繋がっていることを理解しました。このようなコミュニティーの中での災害復興や地方創生の成功の秘訣が、東日本大震災被災地のより良い復興への重要な鍵となり得るのではないかと感じさせられるお話でした。