特別講習会「引導について考える~教相・事相・教化の視点から」開催報告
常勤研究員 別所弘淳
智山伝法院では、平成二十七年度より『作法集』研究会を発足し、その成果を、智山伝法院選書『作法集の解説』として発刊すべく活動している。
この事業の一環として、去る平成31年3月14日(木)、大森真弘師(智山講伝所常在阿闍梨)、山川弘巳師(智山教化センター長)、宮坂宥洪師(智山伝法院院長)をパネリストとして、特別講習会「引導について考える~教相・事相・教化の視点から」を開催した。
引導をテーマに定めた理由は、『作法集』所収「引導作法」の考察を行う中で、次第の意義や典拠というものが明らかになってきた一方、我々が引導について遺族、檀信徒から尋ねられた際に、明確な解答を持ちあわせているのか、という疑問が生じたためである。
日常的に修される引導作法をテーマとしたことからか、会場には一〇〇人を超える受講者が集まり、関心の高さが窺えた。
はじめに、山本隆信師(智山伝法院教授)より、『作法集』研究会の報告がなされ、『作法集』上巻を解説した、智山伝法院選書第十八号『作法集の解説(上)』(仮)が、来春(令和二年)に刊行予定であることが発表された。
続いて行われたシンポジウムは、
・引導は誰(何)に対して渡すのか?
・引導によって仏に成るとすれば、法事(追福修善)を行うこととの整合性は?
などの、檀信徒が感じているであろう素朴な疑問に対し、パネリストの先生から見解を伺う形で進行した。その質疑の一部を示しておく。
【引導は誰(何)に対して渡すのか?】
大森:狭義には故人の菩提心であるが、広義には故人を含めた全体の関係性に対して引導を渡す。亡者は引導によって仏となる方法を授かる。
山川:亡者の霊魂を仏の世界へと導く(大日如来へ帰せしむ)のが引導である。霊魂とは亡者全体であり、死によって人から離れたものである。
宮坂:亡者の霊魂を仏の世界へと導くのが引導である。この仏の世界とは、現実世界と隔絶しているのではなく、二次元が三次元の一部であるように、現実世界を包括するものである。
【引導によって仏になるとすれば、法事をすることとの整合性は?】
大森:引導作法は成仏する方法を授けるのであり、精進を重ねていかないと本物の成仏にはならない。そういう意味で、残った人が法事を行って故人の代わりに善行を積んで、その功徳を故人に回し向ける(回向)ことが必要なのではないか。
山川:即身成仏を理解するのに、理具・加持・顕得の三種がある。理具は、本来的に成仏しているということ、加持は、三密相応して仏と同一となること、顕得は、加持成仏を繰り返していくこと。故人が顕得成仏するように、残った人たちが手を合わせることが大切であり、それが法事、回向なのではないか。
宮坂:釈尊の言葉で「悟った」というのは、泳げない人が泳げるようになったということ。泳げるようになってから速く泳ぐための練習が始まる。灌頂、引導作法を修することも同じで、そこからが始まりである。
真言密教の作法は、僧侶自身の宗教観や経験によって、各僧侶それぞれに作法を修する内実が深まっていくものである。パネリストの先生も、教相・事相・教化という枠組のみに捉われず、自身の宗教観や経験に基づいて回答されていたことが印象的であった。
本講習会を通して、参加者一人一人が、引導作法の意義、修するにあたっての心構えを改めて考える契機となったのではないだろうか。