平成24年10月29日 「近代と仏教」研究会開催報告
常勤講師 阿部 貴子(宏貴)
去る10月29日(月)午後2時より、「近代と仏教」研究会を開催した。今回は駒澤大学教授の吉津宜英先生をお招きした。吉津先生の専門は中国華厳学であるが、中国仏教と日本仏教の交流史という視点で多彩な研究をされている。また、曹洞宗の僧侶でもあり、駒澤大学では学生に「宗学」を教える立場にあるという。そこで先生に「近代仏教学について~宗学と仏教学のこれから~」と題して講義をいただいた。
吉津先生は講義の最初に、仏教研究のあるべき姿勢について述べられた。それは、①仏教文献や歴史を研究する「仏教学」、②社会的問題との関わりを視野に入れた「教化学」、③現代の生き方を探究する「宗学」―という3つの柱を総合的に学んでいくことであるという。
このようなスタンスを説明された後、仏教経済研究所所長として執筆された論稿「日本仏教の回顧・現状・課題―陜西師範大学での講演を機縁として―」(『仏教経済研究』41号、2012年)に基づきながら、現代にいたるまでの日本仏教の歴史的展開を追った。そのなかで明治の宗派仏教について言及し、①江戸時代まで自由に為されていた宗派相互の交流が禁じられ、一宗一派の縦社会、本末関係が主流になったことを指摘。また、②漢訳大蔵経を学の中心とする時代と異なり、サンスクリット・チベット語を中心とする文献学が現れ、駒澤大学の前身である曹洞宗大学林もこの文献学を取り入れていったという。このような近代文献学について、現代の私たちは単純に批判的な視線を送る傾向にあるが、吉津先生はこの領域で日本が世界に突出していることを軽視すべきではないと示唆した。ただし、それを縦社会的な宗派の学問を超え、さらには世界の宗教や思想と共通の言語で議論する土台にしていかなければならないと主張。これがこれからの仏教学の理想であると結んだ。
質疑応答では、曹洞宗における「宗学」とは何を指すのかという質問が上がった。吉津先生によれば、曹洞宗の「宗学」は本来、卓越した学者や老師の教説を学ぶという意味で「(名前)宗学」と用いられる個別的なタームであり、祖師の教説や伝統的解釈を学ぶ学問の総称とはいえない。それが今日では大学における一分野になり、曖昧さが否定できないという。
また「宗学」が「現代の生き方についての学問」であるとは、どのようなことかという質問も上がった。これに対しては、「宗学」を文献や歴史の研究に限定せず、現代に生きる私たちの生き方につながるように研究しなければならないと述べた。
曹洞宗と私たちとでは、「宗学」というタームの用い方に若干の相違があるようだ。ただし私たちも「宗学」を自明のものとして扱い過ぎていないだろうか。このことは再度議論していかねばならないだろう。「宗学」を現代の生き方と見ることに関して、明治期の学匠・栂尾祥雲がそれを「研究したことを実行するもの」と定義していたことが思い出される。ややもすると歴史的な研究と捉えられる「宗学」であるが、その意味を改めて検討していく必要があると考える。
今回は、吉津先生との議論を通して他宗との問題の共有を確認することができ、非常に刺激を受けた研究会となった。