第14回 愛宕薬師フォーラム平成25年12月9日 別院真福寺
来世への祈り―古代エジプト人の死生観―
講師:古代エジプト壁画研究家 古代オリエント博物館自由学校講師 村治 笙子 先生
エジプトの今昔
本日は、今から約五千年前に始まり約二千年前に消えてしまった、古代エジプト人の考えた死後の世界、再生、復活についてお話しします。
古代エジプトでは、各地域(四十二のノモスという州)でさまざまな神が信仰され、いろいろな宗教が認められていました。ちょうど日本の八百万神(やおよろずのかみ)と同じようなものです。しかし、残念なことに現代のエジプト人は、古代の人々が信仰してきた八百万神にはあまり興味がありません。
エジプト最後の女王さまとして有名な「クレオパトラ七世」の在世、紀元前三十年頃、エジプトはローマ帝国の属州となりました。ローマ帝国は一神教の国だったので、エジプトにも当然一神教を強制し始めます。すると、人々は次第に八百万神を祀ることをしなくなり、その後イスラム教を信仰するようになって、古代の神殿やピラミッドなどには全く興味をしめさなくなりました。
「エジプトはナイルの賜だ」と、ギリシャの歴史家ヘロドトスはいいましたが、エジプト人は、まさしくナイルの流れとともに暮してきました。古代人はエジプトを上下二つの国と考えました。一つは、山に囲まれ農地が狭いナイル川上流の上エジプトで、もう一つは、支流がたくさんあるナイル川河口付近のデルタ地域の下エジプトです。また、現在はナイル川の上流、ナセル湖のアブ・シンベルの先にスーダンとの国境があります。かつて、イギリスとフランスが戦った後に、ここに国境が引かれましたが、実際に砂漠や湖を見てもどこが国境なのかはわかりません。
エジプトの国土の九十%以上は砂漠です。ナセル湖より北のナイル川に沿った河岸にはグリーンベルトと呼ばれる緑地帯があり、エジプト人のほとんどはそこで暮らしています。ちなみに、下エジプトのナイル川の東側には東部砂漠が広がり、その先には紅海に突き出たような形で、モーゼが神から十戒を授けられたというシナイ山があるシナイ半島があり、現在ではエジプト領となっています。
古代、ナイル川上流のルクソール西岸は「死者の町」と考えられていて、「王家の谷」「王妃の谷」など王家の墓や葬祭殿がたくさん造られました。この地から、墓内部に描かれた色彩豊かな壁画、ミイラやその傍に置かれたさまざまな副葬品などが数多く発見されています。また、ルクソール東岸は「生者の町」で、当時の人々が参拝した「カルナック神殿」や「ルクソール神殿」が現存しています。
古代エジプトの来世の神さまで一番有名なのはオシリス神です。オシリスが冥界の王さまと考えられるようになったのには次のような神話があります。
オシリスは、もともとエジプトを治める王さまでした。その弟セトはある時、オシリスの人気と地位に嫉妬して兄を殺害し、体をバラバラにしてエジプト各地へばらまいてしまいます。オシリスの妹で妻であるイシスは、妹ネフティスとバラバラになったオシリスの体を一つひとつ拾い集めました。この時、オシリスの遺体を包帯で巻いてつなぎ合わせ、いわゆるミイラの姿にしたのがアヌビスという神さま(壁画では山犬姿)でした。そして、ミイラの姿となったオシリスは、妻イシス(壁画では玉座を頭に乗せた女神)との間にホルス(壁画ではハヤブサ姿)という息子をもうけます。その後、オシリスは現世の王位をホルスに譲り、自分は黄泉の国(冥界)へくだり来世の王さまとなったのです。
冥界のオシリスが住んでいる国は「イアルの野」と呼ばれています。「イアルの野」は、古代エジプト人が考え出した来世の楽園で、そこで死後においても現世と同じような風景の中で同じように生活をするのが庶民の希望でした。また、死者も大神オシリスの仲間入りをしたというしるしに、名前の上に「オシリス」をつけてもらい、「オシリス何某」として墓の内部に名前を刻み、来世で生き続ける者となりました。真言宗でいえば阿字の下に戒名を授かり、大日如来の世界で安住しているようなものと捉えるとわかりやすいかもしれません。
来世で復活するためには
紀元前五千年以上前、古代エジプトの人たちは、自分たちが住んでいるところから西(前述のルクソール西岸など)にある砂漠の縁のお墓に死者を埋めました。砂漠ですから、遺体は自然と干乾びミイラになってしまいます。人々は、砂漠の中に埋めたミイラを見て、死者は西にある砂漠の向こうで永遠に生きているのだと考えたのです。
古王国時代(紀元前二千五百年頃)になると、王さまは即位後すぐにお墓を造り始めるようになります。王さまは死後に復活し、神々とともに現世の人に影響を及ぼす(見守る)存在と思われていましたが、来世で復活するには肉体が必要でした。ですから、王さまの遺体をミイラ(オシリス神話のように)として残すために解剖医学が発達したのです。最初は王さまの肉体だけをミイラとして保存していましたが、のちに庶民も来世で復活したいという願いを抱くようになり、ミイラにして埋葬されるようになりました。
ただし、来世の楽園イアルの野で復活するまでには、さまざまな困難(例えばワニや害虫や蛇に遭遇する、さまざまな罠に遭遇するなど)に遭遇した後、冥界の王オシリスによる裁判を受けなくてはなりません。ですから、それらの困難から逃れたり乗り越えたりするために、願いを込めた祈りの呪文や、護符(お守り)などをミイラの傍らに置き、来世で復活できるように考えたのです。特にパピルス紙(パピルス草から生成した古代エジプトの紙)に書かれた古代人の呪文集「日の下に現れ出るための書」は、通称「死者の書」と呼ばれ、大切な巻物として棺のミイラの傍らに納められました。
この「死者の書」が発見されたことで、私たちは古代エジプト人の死後の世界を概観できるようになったのです。
ちなみに「死者の書」は、一つの決まった本のように書かれているわけではありません。二百以上もある呪文の中から自分に必要な呪文を選び出し、神官(祭祀者)たちに書いてもらったものです。ですから、呪文が一つの場合もありますし、たくさん書かれたものもあります。同じ呪文が重複することもあります。また、書かれた時代によって表現様式もさまざまです。
古代エジプト人は、人間は五つの要素で成り立っていると考えました。
まず、第一の要素は肉体です。肉体が無ければ、現世も来世も生きることができません。二つ目は、バーです。あえて日本語に訳しますと「魂」となります(通常は訳しません)。バーは、死後に肉体から抜け出し、自由に飛び回り現世と来世を行き来する存在で、墓内部の壁画や死者の書では人間の顔をした鳥の姿で描かれています。三つ目は、影(シュート)です。日が照っていれば自分の影が必ず映し出されますので、それも人間の要素であると考えました。壁画には、黒く塗りつぶされた人間の姿として描かれています。四つ目は、名前(レン)です。古代エジプト人は、人間の存在として名前を大切にしていました。そして五つ目は、カーです。カーは、人間の誕生とともに生まれ、「生命力」を表す言葉です。人間の生命力に一番必要な物は食べ物と水です。来世で生きる上でも、やはり食べ物と水が必要であると考えました。墓には、偽扉(ぎひ)といって絵で描かれた開かない扉があるのですが、その扉の前に供物が置かれます。カーは、生命の源であるエネルギーとなるその供物を受け取る役目で、両手を広げた形で壁画に描かれています。ちなみに、残された者が供物をお供えしなかったり、あるいは供養してくれる人がいなくなったりした時でも死者が供物を受け取れることができるようにと、墓の中には供物や供物を作る様子を絵として描いてあるのです。
死後の世界
「死者の書」には、概ね次のようなことが書かれています。
まず人が死ぬと、残された者は死者が来世で復活することを信じて、肉体をミイラにします。そしてお墓に埋葬する前に、死後最も重要な儀式である「開口の儀式」を始めるのです。
「開口の儀式」とは、死者の口を来世で再び使用できるようにするための儀式です。この儀式によって、死者は来世で食べることも話すことも聞くこともできるようになります。例えば、来世の神さまに呼び出されたとき、話ができないと困ると考えたのです。ですから「口」「鼻」などの他にもいろいろなところの穴を手斧で触れながら、生命機能を復活させる儀式を行いました。
ミイラとなった肉体は、包帯できつく巻かれているため自由に動けません。死後に活動するのは、死者の頭を持つ鳥の姿で描かれたバー(魂)です。昼間は鳥の姿で自由に動き回り、夜になると肉体に戻ってきました。バーが死者の肉体に戻るためにミイラは必要なのです。
そして、イアルの野に到るまでには、数々の困難が死者の行く手を阻みます。それらを呪文の力で乗り越えた死者には、最大の試練としてオシリス神の前で裁判が行われます。
死者のための裁判が行われる所は、「二つのマアトの間」と呼ばれています。マアトとは「真実」「秩序」を表す言葉です。裁判では、生前での行いが神々の意に適うものであったのかが量られます。まず、四十二柱の神々(四十二のノモスの神々)に、「四十二の否定告白」をします。それは、神々からの犯罪や倫理に関わる四十二の質問に対して、例えば、「盗みをしませんでした」「うそをつきませんでした」「○○しませんでした」などのように告白をしていくのです。次に、その告白が正しいか否かを大きな天秤で判定します。天秤の片方の皿の上には「死者の心臓」を、もうひとつの皿の上には「真実を表すマアトの羽」を置きます。「死者の心臓」は、死者の現世の行為を最も知っている象徴(その人の人生そのもの)で、それが「真実を表すマアトの羽」と釣り合えば、嘘をついていない正しい人(善い心臓をもつ人物)と判断されます。そして、その後「声正しき者(男性はマア・ケルウ、女性はマアト・ケルウト)」と称され冥界の王オシリスの国であるイアルの野へ往くことができるのです。しかし、もし、天秤が釣り合わない場合は、嘘をついていることとなり「アメミト」という怪物に心臓が食べられてしまいます。そこで心臓を食べられてしまうと、死者の存在すべてがたちどころに消滅し、イアルの野には往かれなくなってしまうのです。この心臓を食べられてしまうことを古代エジプト人は「第二の死」と考えて、一番恐れていました。
死者の裁判を経て、「声正しき者」が「オシリス何某」となり、漸くイアルの野という来世の楽園で暮らすことができたのです。古代エジプト人は、死の恐怖や不安を、このような世界を生み出したことによって克服したのです。
日本人は、死後、仏さまの世界(密厳浄土や極楽浄土)に往生すると信じてきましたから、古代エジプト人が描いた「イアルの野と呼ばれる、オシリス神や太陽神とともに暮らす極楽浄土がある」と聞いても違和感なく理解できるのではないでしょうか。
古代エジプト人が描いた来世は、まさしく現世の写しだったのです。つまり、現世と同じ来世を描いていたわけです。そして楽園という来世を描くということによって、現世も楽園のようにあってほしいという願いを反映させていたのだと思います。
(構成/智山教化センター)