教化センター

愛宕薬師フォーラム報告

第45回 愛宕薬師フォーラム令和6年9月9日 別院真福寺

密教とヒンドゥー教 ―聖天・弁才天・吉祥天・大黒天・帝釈天・阿修羅の元の姿とは―

講師:作家 インド工科大学客員准教授 山田 真美 先生

 現在インドの人口は十四億五千万人ほど。その数に比べれば少ないですが、ヒンドゥー教には三億三千万の神々がいるといわれています。日本の神道でも八百万の神がいるといわれますが、それに比べても四十倍以上の超多神教です。

ガネーシャ(聖天)

 インドで慶事を始める時に、必ず最初にお参りする神が、ガネーシャです。
 ガネーシャは、仏教では「聖天」(歓喜天)です。特徴は象の顔で、右側の牙が折れ、小さいネズミに乗っています。ヒンドゥー教の神は、何の動物に乗っているかで見分けがつきます。

 ガネーシャへはモーダカというお饅頭をお供えします。刻んだココナッツや椰子糖を混ぜた餡を、米粉や小麦粉で練った生地で包み、植物油で揚げたものです。日本では、清浄歓喜団を聖天に捧げますが、もしかするとモーダカが進化したものかもしれません。供える数は二十一個です。二十一はいわばガネーシャのラッキーナンバーで、マントラを唱える時も二十一回です。

 日本では聖天に大根を供えします。インドの方を聖天のお寺にお連れしましたが、「なんで? インドでは絶対そんなことしないよ」と驚いていました。

 

ガネーシャの父「シヴァ」(大黒天)

 ガネーシャの父はシヴァです。ヒンドゥー教の三大神のお一人で、頭にはガンジス川が流れ、首にコブラ、腰に毛皮を巻き、トラの毛皮を敷いています。先が三又に分かれた三叉戟と、太鼓を持っています。シヴァには多くの異名があり、その一つがマハーカーラ=大黒天です。日本の大黒天は穏やかでふくよかな姿ですが、シヴァは破壊を司り、おどろおどろしい姿をしています。カーラは暗黒、時間という意味があります。時と闇を司る、少し怖い神。それがガネーシャの父シヴァの一側面です。

 

ガネーシャの母「パールヴァティ」

 ガネーシャの母は、他の神々と同様に化身し、そのたびに名前も姿も変わります。ガネーシャを抱き、夫のシヴァと仲睦ましい姿で描かれている時の名はパールヴァティ。水牛の形をした阿修羅(ヒンドゥー教の神話では、神が必ず正しく、阿修羅が必ず悪ではなく、神と同等の能力を持った敵対勢力としてアスラ族がいる)を成敗する場面では最強の神ドゥルガーとなり、さらに怒りが増すと暗黒神カーリーとなります。

 

ガネーシャはなぜ象の頭

 ガネーシャの母パールヴァティは自身の垢で人形を作り、命を吹き込み、男の子をつくりました。その子に「誰が来ても私の部屋へ入れないように」と見張りを頼みました。そこへ夫のシヴァが帰ってきました。シヴァは家に入ろうとしますが、男の子に通せんぼされて入れません。怒ったシヴァは、男の子の首を切り落としてしまいます。そこへ戻ってきたパールヴァティは、当然、夫に激怒しました。シヴァは急いで代わりの首を探しに行きます。そして、森の中で出会った牙の折れた象の首を坊やの頭に付けました。ガネーシャの頭が象なのは、そんな理由からなのです。

 

ガネーシャの兄弟「スカンダ」(韋駄天)

 ガネーシャにはスカンダという弟(一説には兄)がいます。仏教における韋駄天です。「韋駄天走り」の言葉どおり、足が速いことでインドでも有名です。四天王の下の三十二将のトップで、六つの顔を持ち、孔雀に乗っています。もともと六人兄弟で生まれましたが、母が全員をギュッと抱きしめたところ、体がくっつき、顔だけ六面になったとか。
 名前のスカンダは、漢字表記すれば塞建陀天となるはずですが、どうやら建陀天↓違陀天↓韋駄天と誤表記されたのではないかという説があります。

 

インドラ(帝釈天)

 インドラは非常にマジカルで密教的な神で、仏教では帝釈天です。インドラの網を意味する「インドラジャラ」という言葉があり、壮大なマジックを意味します。初めて「マーヤー」をつくった神がインドラです。「マーヤー」はインド世界、特に密教的な世界を理解するために重要な概念で、いわゆるイリュージョン、幻。突然何かが現れ実現するもの。そういうものをマーヤーといいます。宇宙全体に張り巡らされた網から、突然あらわれる。何かを実現する。そのマーヤーをつくったのがインドラです。

 

ヴァジュラ(金剛杵)

 チベット仏教には四大宗派(ニンマ派、カギュ派、サキャ派、ゲルグ派)があります。ダライ・ラマ法王はゲルグ派です。一番古いニンマ派の開祖がパドマサンバヴァです。パドマは蓮の花。伝承によればパドマサンバヴァは八歳の男の子の姿で、蓮の花から生まれたといいます。亡くなる時には虹を渡っていったなど伝説が多く、実在を疑う人もいるようです。パドマサンバヴァの仏像を見ると、お大師さまも持っている「ヴァジュラ」即ち金剛杵を手に持っています。

 ところで密教とは何でしょう。「名は体を表す」の言葉どおり、インドで密教が何と呼ばれるかを知ることで見えてくるものがあると思います。いろいろな呼び名がありますが、よく聞くのはヴァジュラヤーナです。ヴァジュラは金剛杵。ヤーナは乗り物。つまりヴァジュラという乗り物に乗った教えが密教なのです。ヴァジュラとは、自ら傷つくことなく、すべてを破壊できる最強の武器の名前。その強さ・硬さから「ダイヤモンド」とも訳されます。もとをたどれば、古代インドでインドラが用いた武器がヴァジュラで、当初は雷電・落雷を意味しました。密教がヴァジュラヤーナならば、密教の始まりはインドラに関係しているといえるかも知れません。

 

ヴァジュラの誕生

 インドラがヴリトラという阿修羅と戦った時の神話は大人気で、映画やアニメにもなっています。ヴリトラは世界中の川を閉じ込めて深刻な干ばつをもたらしました。大地は干上がり神々も人間も苦しんでいました。ヴリトラは、いかなる武器でも倒せない強敵でした。インドラは、どうしたらよいかとブラフマー(梵天)に相談します。梵天もわからず、ヴィシュヌに意見を仰ぐと、「ヴリトラを倒せるのは聖者ダディーチの骨で作った武器だけ」という答え。そこでダディーチに事情を話したところ、「私の骨を喜んで差し上げましょう」と、自己犠牲になることを快諾してくれました。こうして聖者ダディーチの骨で作られたのがヴァジュラ(金剛杵)なのです。この武器を用いてインドラはヴリトラに勝利し、世界には水が戻りました。

 

ヒンドゥー教で人気の神々

 ヒンドゥー教の神々はインドラのような古い神から始まって、時代と共に流行り廃りがありますが、現在の三大神はブラフマーとヴィシュヌとシヴァです。ブラフマーは創造の神、梵天。顔が四つあります。もとは五面でしたが、シヴァと戦ったときに一つ切り落とされて四面になったといわれます。

 ヴィシュヌは維持の神です。チャクラという円盤型の武器と法螺貝を持っています。「ほらを吹く」は現代語では嘘をつくという意味ですが、もとはお釈迦さまの説法が遠くまで響きわたる様を意味しました。ヴィシュヌは十に化身することで知られます。インターネット上で自分の分身を「アバター」といいますが、サンスクリット語で神の化身を意味する「アバターラ」が語源です。

 実は、ヴィシュヌの十の化身の九番目はブッダです。ヒンドゥー教の側からすると、お釈迦さまはヴィシュヌの化身なのです。三大神の三人目、シヴァについてはすでにお話しました。これら三大神のそれぞれの妻たち(サラスワティ・ラクシュミー・パールヴァティ)も、インドでは人気者です。

 

ヴィシュヌの化身

 ヴィシュヌの最初の化身は魚です。その昔、マヌという名の心正しい男がいました。ある時、水を汲んできたマヌは、水の中に小さな魚がいることに気づきました。魚が「マヌさん、ここは狭いからもっと広い所へ移してください」と話しかけてきたので、大きな桶に移しました。翌朝、魚は桶からはみ出すほど大きく育っていました。「もっと広い所に移してください」と魚が懇願するので、今度は池に入れましたが、すぐに池からはみ出すほどの大きさに育ってしまいました。そこでマヌが魚を海に放したところ、魚は「私はヴィシュヌ神なり。そなたは心の正しい人間なので教えよう。七日後に大洪水が来て、この世は滅びる。船を造り、全ての植物の種を積んで、仲間の聖者たちと乗りなさい」といい、海へ消えていったそうです。マヌは七人の仲間とともに船を作り、植物の種子を運び込みました。七日後に大洪水が起こり、陸地も人も海に沈みましたが、マヌたちは生き残ることができたそうです。

 この話は『旧約聖書』に伝わるノアの方舟神話と酷似しています。興味深いのは、ノアと一緒に船に乗ったのが、ノアと妻、三人の息子とそれぞれの妻で、合計八人だったこと。マヌの話でも八人の聖者が船に乗りました。船という字は舟に八口と書きます。口は人の数ですから、舟に八人乗っているという意味にとれます。偶然の一致でしょうが、ちょっと不思議ですね。

 

七福神

 七福神は、弁才天・大黒天・毘沙門天がインド由来。福禄寿・寿老人・布袋和尚は中国由来。恵比寿は唯一日本の神です。時代や地域により八福神や吉祥天が入る場合もあります。
 大黒天(マハーカーラ)は説明したとおりですが、チベット仏教で特に信仰されています。
 毘沙門天(クベーラ)の元の姿は、仏教での姿と違い、お腹のふっくらした福徳の神で、お金や幸福を司ります。
 弁才天(サラスワティ)は楽器のヴィーナを持ち、文字・言語・学問を司り、サンスクリット語は彼女が作ったといわれます。インドでは伝統的に子供が六歳になるとサラスワティのお寺をお参りし、字の読み書きの勉強を始めます。
 このほか吉祥天(ラクシュミー)は、手をかざすとお金が出てくる財宝の神で、美や幸運も司り、ガネーシャと並ぶ福の神として人気があります。

 

おわりに

 二〇二三年、インドの人口は世界一になりました。インドの宗教別人口を見ると、ヒンドゥー教七九・八%、イスラム教十四・二%、キリスト教二・三%、シーク教一・七%、仏教とその他合わせて二・〇%。仏教はごく少数です。ブッダがヴィシュヌの化身と認識され、ヒンドゥー教の一員として神話に組み入れられてしまったことが原因の一つかも知れません。

 ヒンドゥー教を一言でいうと、ひどく混沌としていて、あまりにも深く、潜っても潜っても底が見えない、魅力のある宗教です。そして何より重要なのは、私たちが信仰している神や仏のルーツがそこにあるということです。

 密教との関連でいえば「ヴァジュラ」がキーワードでしょう。インドラから始まり、今日まで連綿と続く、この不思議な法具。チベットのパドマサンバヴァも、日本のお大師さまも持っていらっしゃる、最強の力を持つもの。密教がインドから中国経由で日本へと伝わる流れを理解する上で、ヴァジュラが非常に重要な手がかりであることは間違いありません。私たちはこれからも、そこに深く想いを馳せてみる必要があるように思います。ご清聴ありがとうございました。

 ナマステ(合掌)