教化センター

愛宕薬師フォーラム報告

第3回 愛宕薬師フォーラム平成23年5月26日 別院真福寺

仏さまに祈る―仏像と儀礼のかかわりを探る

講師:東洋大学文学部インド哲学科教授   山口 しのぶ 先生

平成23年2月1日(火)午後2時より別院真福寺・地下講堂において、第3回の愛宕薬師フォーラムを開催しました。 
「仏教における儀礼の構造と機能」をテーマに、東洋大学文学部インド哲学科教授の山口しのぶ先生をお迎えし、仏教の儀礼はどのように誕生し、発展していったのか、儀礼にはどのような種類と意味があるのか、をお話しいただきました。 
以下、当日の講演を要約してお伝えします。

○仏教の発展と儀礼、仏像

私はここ20年くらい、インド、ネパールなど、南アジアを中心に仏教寺院をめぐり、仏教徒の生活や仏さまに祈る人々の姿を見てきました。その経験から、いろいろな祈り方があることを実感しています。 
先ずは、仏教の発展と儀礼がどのように関わっているのか、仏教の歴史を初期仏教、大乗仏教、密教と大きく三つに分けてみていきたいと思います。 
初期の仏教において儀礼は重視されていません。仏教はバラモン教に対する否定的側面があり、そのことから仏教は受け入れられていきますので、バラモン教で行う儀礼を積極的に肯定し、勧めることはありませんでした。しかし、お釈迦さまが入滅された後、仏舎利を納めるための仏塔が造られます。仏塔は次第にお釈迦さまの遺骨が安置されている場所から、お釈迦さま自身であると考えられるようになり、遺骨が無くても仏塔が造られ、崇拝の対象になっていきます。そして紀元前1、2世紀には各地に大規模な仏塔が造られ、仏塔を中心とした石窟寺院も造られます。岸壁に穴を掘り、お坊さんたちが住む初期の石窟寺院には仏像はなく、仏塔のみがありました。このように仏塔崇拝から先に礼拝の儀式が起こってきます。 
そして、紀元1、2世紀になると大乗仏教が起こり、人間の姿をした仏像が出現してきます。民間信仰では仏像の出現以前にも人間の形をした神さまは描かれ、造られていましたが、お釈迦さまだけは人間の姿で表されることはありませんでした。おそらくあまりに偉いお釈迦さまを人間の姿で表すのは恐れ多いと考えられたのだと思います。 
初めて仏像が出現したのがガンダーラです。ガンダーラは今のパキスタン、アフガニスタンの一部の地域です。ほぼ同時期に北インドのマトゥラーでも仏像が造られます。また大乗仏教の時代にはさまざまな仏さまが生まれます。 
大乗仏教の中で有名なお経に『法華経』があります。この『法華経』の第二十四章「普門品」は、一般的には観音さまのお経として『観音経』と呼ばれていますが、このお経の中では観音さまに礼拝すればどのような功徳があるのかが説かれ、儀礼の仕方なども説かれています。このように大乗仏教の時代には仏像が各地で造られ、儀礼が盛んになってきます。

その後盛んになる密教では、さまざまな性格と姿を持った仏さまが現れます。大乗仏教にも弥勒菩薩や普賢菩薩、阿弥陀如来といった仏さまが説かれていますが、密教になると、私たち人間が持っているさまざまな欲望、色々な願いごとを叶えるために、さまざまな性格、姿形をとった仏さまが生まれます。 
仏教は本来、欲望をおさえ執着しないことを説きますが、出家した僧侶だけでなく、一般在家の方の場合には、さまざまな職業の人がそれぞれの生活の中で仏さまと向き合い、仏さまに祈り、世間的な願いごとを叶えることが仏教にとって重要になってくるのです。このように時代を経るにしたがって、願いごとを叶えてもらうために、仏さまに対する儀礼が重視されていくことになります。 
大乗仏教においては、師であり人間であったお釈迦さまの存在が神格化されて、人間を超えた大きな存在へと変わっていきましたが、それが密教の時代になると、その大いなる仏さまと行者が一体になっ

て成仏するという修行が重視されてきます。それにともなって儀礼も、一般在家の人が仏さまに礼拝し、供物を捧げて願いごとをするための儀礼と、修行者が仏さまと一体になって成仏するための儀礼という二つの面から発展していきます。

 

○(宗教行為としての儀礼)

儀礼はどのような機能を持っているか、宗教行為という視点から考えてみたいと思います。 
宗教行為は大きく分けて「集団的宗教行為」と、「個人的宗教行為」があります。国や共同体、一族の発展、安寧など集団の利益を目的に行う儀礼は集団的宗教行為と考えられます。一方、個人の救いや、悟りを得たい、解脱をしたいなど精神的な至福を得ることを目的として瞑想や念仏を行った場合、それらは個人的宗教行為と考えられます。 
そして密教においては、集団的宗教行為と個人的宗教行為が重なり合う場面がでてきま

す。例えば密教の護摩では、僧侶が人々の願いごとを叶うようにと、火の中に供物を投じていきますが、僧侶にとってこの行為は自らの煩悩を焼くという修行の面もあります。修行という個人的宗教行為と、人々の願いごとを叶える集団的宗教行為が重なり合っているのです。密教の儀礼では修行者は仏さまの姿をありありと観想して、そのイメージした仏さまに供養を行い、仏さまと一体になります。一方で、人々は仏さまの偉大な力をいただくことで、願いごとを叶えてもらいます。密教ではその二つの側面が一つの儀礼で同時に現われてくる場合があるのです。

 

○(アジア諸地域の儀礼、仏像、マンダラとその世界観)

実際に、アジアの諸地域ではどのような儀礼を行っているのでしょうか。インドやネパールなどで供養は、仏や神々の像に対して供物を供えて祈る行為を指します。私たち日本人はご先祖さまに供物を捧げて供養を行いますが、インド、ネパールなどの供養は「プージャー」と呼ばれ、仏さまや神々を礼拝する儀礼です。インド、ネパールでは、仏さまへの礼拝とご先祖さまへの礼拝の仕方は別々に分かれています。ネパールでは、護摩もよく行われます。何か願いごとがある時は穀類、豆類などたくさんの供物を捧げて護摩を行います。

密教の僧侶になる時の通過儀礼としても護摩は行われます。また、僧侶が行う儀礼としては、師マンダラ供養と呼ばれるものがあります。 
師というのは僧侶にとって師であり、具体的には金剛薩?を意味しています。真言密教では金剛薩?は大日如来より法を授かった付法二祖に位置づけられています。僧侶は儀礼の場に師マンダラを描き、花や線香などの供物を捧げて、印を結び、師マンダラそのものを師である金剛薩?に捧げます。師マンダラはまた僧侶自身の身体であるとも考えられています。つまり、師マンダラ供養は自分自身を仏さま(金剛薩?)に捧げる儀礼です。この師マンダラ供養はネパールの仏教の中で基本的な儀礼であり、僧侶がさまざまな儀礼を行う際に、最初に行われます。

 

○(日本人にとっての「ほとけへの祈り」とは)

仏教は長い歴史の中で、いろいろな地域に伝わっていきます。インドにおいては政治のために仏教が利用されることはほとんどありませんでしたが、中国、朝鮮半島、日本においては時の国家権力が受容する形

で仏教が入ってきます。国家の威信を示すために仏像や寺院が造られ、国家レベルでの儀礼も重要視されます。しかし一方で、仏教はその地域ごとの文化や社会と結び付いて、その地域固有の思想や儀礼、祈りの形を生み出してきました。 
では、我々日本人にとって「ほとけ」への祈りとは、どういう意味を持つのでしょうか。
日本人にとって「ほとけ」は漢字で書く「仏」と、カタカナで書く「ホトケ」の二つの感覚があります。漢字の「仏」は、大日如来であったり阿弥陀如来であったり、仏像として祀られる「ほとけ」です。カタカナの「ホトケ」は亡くなった人というイメージが強いのではないかと思います。亡くなった人を「ホトケ」と呼ぶのは、亡くなった親族、家族や先祖が礼拝の対象となります。日本人は昔から死者、先祖とのつながりを重要視してきましたが、そのもともと日本にあった死者、先祖に対する感覚が仏教の儀礼の中に取り込まれてきたのだろうと思います。その代表的な儀礼はお葬式とお盆でしょう。 
お盆を考えると、日本人がどのように「あの世」を考えてきたかがわかります。日本人は山や海など身近な場所をあの世と考えてきました。あの世は生きている自分たちと関わりを持たない場所ではなく、常に自分たちとつながりを持っています。私たちがこの世で生きているように、あの世でも亡くなった人は存在していて、私たちと関係を保ちながら暮らしているという感覚を持っていたのです。それが日本のさまざまな行事の中に表れています。特にお盆は家に帰ってくるご先祖さまをお迎えする儀式です。常に亡くなった人、ご先祖さまと関わっていくという日本人の感覚がお盆の儀式を成り立たせているのです。

 

◎(現代社会で「祈り」は必要か?)

これまで日本人は亡くなった人、ご先祖さまとの関わりを重視し、それを仏さまに託しながら儀礼を行い、祈りを捧げてきました。それでは今、現代社会の中で「祈り」はどういう意味を持つのかを考えてみたいと思います。 
現代社会はあらゆる面で便利になりました。科学技術の発達によって通信手段が広がり、携帯電話やインターネットなどで人と人とが簡単につながり、時間を気にせず関われるようになりました。しかしながら、グローバルな社会、均質化した世界の中で暮らしているという感覚が大きくなる一方で、人々はその土地その土地の生活感覚や、自分にとって本質的なものを求めようとしているように思えます。仏像ブームといわれるように博物館から神社仏閣へと足を運ぶ人や、宗教的な遺跡やパワースポットと呼ばれる場所に出かける人が増えている背景には、私たちが「自分はどこから来て、どのように暮らし、これからどこに行ったらよいのか」という問いに対する答えを求める欲求があるのだろうと思います。 
私たちが現代社会の中で不安に思い、道に迷った時に、古くからある文化的、歴史的な事物がある場所を訪ねるというのは、ある意味、自然な行動であるかも知れません。たとえば寺院に安置される仏さまの姿には、歴史の中でそれぞれの文化で育まれ、形づくられ大切にされてきたものが、そこに表現されているからです。仏像には今まで培われた仏教にかかわる人々の精神が凝縮されています。仏像を見た人はそれを理屈ではなくわかる。この仏さまの姿は私が辿ってきた道であり、それが凝縮された姿なのだということが、言葉ではなく、感覚でわかるわけです。 
また同時に、仏さまは自分と同等ではなく、私とは違った聖なる存在であることも感じます。自分のアイデンティティーとなるもの、あるいは自分の生きていく道が聖化された存在として仏さまを感じるならば、人々はその仏さまとつながっていたいと思うわけで、そこに「祈り」というものが現われてくるのではないでしょうか。「自分が祈ることで何か大きな、本質的なものとつながっている」と感じることができ、人は安心して自分の身の置き所を見つけることができるのではないかと思います。それが「二十一世紀に仏さまに祈るとはどういうことか」ということに対して、私が思うことです。 

(構成/智山教化センター)