教化センター

愛宕薬師フォーラム報告

第44回 愛宕薬師フォーラム令和6年2月7日 別院真福寺

お大師さまの教えについて ー真言密教の卓越性を中心にー

講師:大正大学 名誉教授・元学長 大塚伸夫先生

はじめに

 お大師さまが恵果阿闍梨から受法した密教の基本は、『御請来目録』に記されたとおり、即身成仏(当初は速疾成仏)と除災招福の二点に要約できる。この二点は、大乗仏教の成仏観の基本である自利利他の修道論にも通ずる密教修道論とも換言できる。

 帰朝後、恵果阿闍梨より託された使命を果たすべく、お大師さまは受法した密教の教線拡張をはかる努力を重ねていく。その生涯にわたる思想特徴は、大きく分けて宗学用語で「教判」と呼ばれる⑴比較思想と、⑵密教の思想や世界観の明示といった二点にまとめられる。この両特徴を概観しながら、⑶お大師さまの思想背景となる密教経典にも言及して、お大師さまの構築した真言密教の教え―特にその卓越性についてお話してみたい。

⑴ 比較思想に見られる三種の特徴

 お大師さまの比較思想の側面は、いわゆる出家宣言の書といわれる『三教指帰』(草本『聾瞽指帰』)に始まり、『弁顕密二教論』、『般若心経秘鍵』、『平城天皇灌頂文』、『十住心論』、『秘蔵宝鑰』にいたる著作に見える思想特徴であり、お大師さまの終始一貫した思想特徴といえる。この特徴は、儒教・道教といった他宗教および仏教諸乗(声聞乗・縁覚乗・大乗)と、密教との教理を比較するものといえる。この比較思想に関しては、入唐求法後に著された代表的な著作のなかに①密教の優位性(九顕一密的な序列化)とともに、②密教の統括性(九顕十密、多即一的な一元論)、そして③密教の超絶性(一切空の否定上に成り立つ自心仏思想)といった三点の思想特徴が認められる。

①密教の優位性を説く特徴

 お大師さまの密教と顕教との比較思想は『弁顕密二教論』から始まり、顕教と密教を比較する場合、顕教に関しては後代になると細分化していく傾向が認められる。たとえば、入唐後間もないころの『弁顕密二教論』では、密教以外の教えは顕教として一括され、これと密教との比較論(能説の仏身、所説の教法、成仏の遅速、教益の勝劣の四点)を展開するが、同書より後代と思われる『般若心経秘鍵』あたりから顕教が細分化されるようになり、『十住心論』『秘蔵宝鑰』に示される十住心思想によって、密教の優位性を主張する比較思想は確立する。

②密教の統括性を説く特徴

 密教の統括性とは、多即一的な一元性の特徴がある胎蔵曼荼羅の発想のもと、すべての教え(多なる一門尊の三昧)が密教(一なる普門大日)のなかに統括される思想特徴を意味する。この特徴の片鱗が表れるのは『般若心経秘鍵』あたりからである。同書において、お大師さまは『般若心経』を般若の空を説く経典といった従来の立場を踏襲せず、般若菩薩の大心真言三摩地法門を説く密教経典とみなす独創的な見解を披瀝する。とくに『般若心経』を五分割して解釈(五分判釈)するなかで、『般若心経』を仏教諸宗の華厳・三論・法相・声聞・縁覚・天台の六宗に密教(真言)を加えて、七宗の行果を示したものであると解釈する。ここに六宗の顕教から密教にいたる教えのすべてを般若菩薩とはいえ、密教の三摩地門という手法を用いて、すべての教えを統括する捉え方(密教眼)が汲み取れる。

 次に、密教の統括性を説く特徴として顕著なのが『十住心論』である。とりわけ十住心に関する浅略釈と深秘釈の二段解釈に着目すると、浅略釈は『秘蔵宝鑰』に見られる九顕一密(顕教を序列化して最後に密教の優位を主張する立場)と同じ構造で密教の優位性が示される一方、深秘釈は九顕十密(顕教の各住心は密教の一門尊の三昧を示したものとみなす立場で、前九住心はすべて密教の説く菩提心の一展開過程とみる立場)を表明していると捉えられる。これが密教の統括性の特徴である。

③密教の超絶性を説く特徴

 お大師さまによる密教の超絶性の主張は、先の①優位性を説くなかに示される場合が多い。たとえば十住心で表現すれば、前九住心に次いで最後に第十住心が位置づけられる文脈のなかで、顕教の極位である第九住心と、密教の第十住心との間には超絶的な隔たりがあること、これこそ密教が顕教に比して優位に立つ点であり、しかも超絶的であることを示すものとなる。この超絶性の特徴は、お大師さまの初期著作となる『弁顕密二教論』から晩年の『十住心論』『秘蔵宝鑰』にいたる顕密の比較論に見られる。そうした密教の超絶性の用例を以下の引用文※から確認すると、『金剛頂経』系密教の覚りの世界観(三密門・自仏・自宝など)が背景になっているのがわかる。

※ページの都合上その一々を載せることはできないが、『弁顕密二教論』『般若心経秘鍵』『平城天皇灌頂文』『秘蔵宝鑰』などから七つの引用文を示された。

⑵ 真言密教の思想や世界観の特徴

 お大師さまによる真言密教の思想や世界観の明示では、上掲した著作以外にも『即身成仏義』、『声字実相義』、『吽字義』の「三部の書」といわれる著作がある。それらの著作を通じては、顕教の説く空智の世界観(前記引用文『平城天皇灌頂文』第二文「如如如如の理、空空空空の智」→遮情門)でなく、密教の三密門を通じた法身と衆生の一元性(同引用文『平城天皇灌頂文』第二文「自仏・清浄覚者」、同引用文『秘蔵宝鑰』「金剛の一宮」「内庫」中の「自宝」→表徳門)を視点とする超絶した、大日如来による内証智の世界観が解き明かされる思想特徴がうかがえる。

 たとえば、『即身成仏義』の二頌八句では、前半の即身偈(重々帝網なるを即身と名づく)によって能生の法身と所生の衆生身との等質性にもとづく即身の義が、後半の成仏偈(各々五智無際智を具す)によっては、衆生の本有本覚が主張される。とくに後半の成仏偈の趣旨こそ『金剛頂経』系密教の本有本覚を示したものと受け止められる。

 『声字実相義』の序分では、法身大日の説法する言語とは顕教のような口より発する言葉ではなく、如義言説としての真言(大日の神変加持によって現象化する十界)であり法仏の三密とみなす。それがそのまま衆生の本来有する心の曼荼羅である旨(声字実相とはすなわちこれ法仏平等の三密、衆生本有の曼荼なり)が示され、法身(法爾)と衆生(随縁)との不二が主張される。

 また『吽字義』では、「吽」という梵字に如来の内証智の境界(悟られるべき世界)が含意され、この梵字(有相)の字義にもとづく三摩地門(曼荼羅諸尊の三昧門)が組織され、この字義を観ずる三摩地を通じて密教修行者が如来内証智の境界(無相)に入住できる可能性が明かされる(もし人あってこの吽字等の密号密義を知らばすなわち正遍知者と名づく)。

 以上の三部の書を著述したお大師さまの意図は、法身と衆生との不二の根拠となる「衆生の本有本覚」を覚るための教理と実践の密教世界を開示しようとしていたのではないだろうか。それは一般衆ではなく、あくまでも弟子たちに対してであったと考える。

⑶  お大師さまの思想背景となる密教経典の特徴

 こうしたお大師さまの思想構造は、自身が相承した密教がどれほど勝れた教えであるかを、⑴比較思想の手法のもとに立証しつつ、⑵その相承した密教の思想と覚りの世界観を示すため、密教の超絶性(あるいは秘密性)をある程度のレベルに限定して示すことにあったと考える(お大師さまは著作を通じて密教の核心部分を100%開示せず、詳細は灌頂後の面授にて伝法すべきとの立場をとっていたと考える)。

 その思想背景と考えるのが大師請来の新訳『金剛頂経』系の経典が重要であったと考える。そのなかでもとくに重要な一経典が不空訳『三巻本教王経』の次の一段(別序:大毘盧遮那の自性と住処を明かす一段)であったと予想する。

時に婆伽梵・大毘盧遮那如来、常に一切虚空に住せる一切如来の身口心の金剛…(中略)…婆伽梵・大菩提心・普賢大菩薩は、一切如来の心(心臓)に住したまえり。(『正蔵』第18207上ー下)

ここには、智法身大毘盧遮那(=一切如来の身口心金剛)が法界に遍満・渉入して、心的には菩提心、身的は普賢菩薩となって、衆生の心臓中に因位(金剛界vajradhātu 金剛性)の状態で住している点が示されている。これこそが衆生の本有本覚者を教示するものであり、これを五相成身観によって開顕させたのが金剛界如来であり、大日如来なのである。

 また、『理趣経』第十二段に説く「四種蔵」の教説も重要であろう。

一切有情は如来蔵なり、普賢菩薩は一切の我なるを以ての故に(『正蔵』8785下)

ここには、大乗の如来蔵思想が密教的に展開した衆生の本有本覚が描写されている。こうした遮情門ではなく表徳門に主眼をおいた密教の思想体系こそ、お大師さまにとっての密教の優位性・超絶性・世界観といった密教の卓越性を構築するポイントであったと考える。