名勝庭園

この庭園は豊臣秀吉公が建立した祥雲寺(しょううんじ・智積院の前身のお寺)時代に原形が造られています。
その後、智積院になってからは、第七世運敞(うんしょう)僧正が修復し、東山第一の庭と言われるようになります。    築山・泉水庭の先駆をなした貴重な遺産といわれ、中国の盧山をかたどって土地の高低を利用して築山を造り、その前面に池を掘るとともに、山の中腹や山裾に石組みを配して変化を付けています。
国宝の障壁画がかつて飾られていた大書院はこの庭園に面して建ち、平安期の寝殿造りの釣殿のように、庭園の池が書院の縁の下に入り込んでいます。

 

講堂

講堂は平成4年(1992)の興教大師850年御遠忌記念事業として計画し、平成7年(1995)10月に完成したものです。
玄宥僧正が現在の京都東山の地に智積院を再興した折りに、徳川家康公より寄贈された祥雲寺の客殿(方丈)が基になっています。
この祥雲寺ゆかりの建物自体は、天和2年(1682)7月に焼失。その後幕府から与えられた東福門院の旧殿・対屋を基に、貞亨元年(1684)に再建されましたが、その建物も昭和22年におしくも焼失してしまっています。

在の講堂は、灌頂道場や各種研修の道場として使用しています。

また、講堂には5つの部屋があり、そのすべてに平成20年に田渕俊夫画伯より奉納された四季を現した襖絵がはめられております。(通常公開されているのは不二の間、金剛の間、胎蔵の間の3部屋)

 

 

田渕俊夫画伯 襖絵

・欅(けやき、夏、金剛の間)

 

・芽竹(めだけ、夏、金剛の間)

・朝暘(ちょうよう、不二の間)

・夕陽(ゆうよう、不二の間)

・枝垂れ桜(しだれざくら、春、胎蔵の間)

・柳(やなぎ、春、胎蔵の間)