時代 | 西暦(年号) | 智積院 年表【読み仮名】 | 参考(真言宗・世界年表) | ||
774 弘法大師誕生 804 弘法大師、入唐 806 弘法大師、 真言宗を開宗 835 弘法大師入定 1095 興教大師誕生 1143 興教大師入滅 1467 応仁の乱 1549 キリスト教伝来 |
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室町 | 1556 (弘治2年) |
日秀【にちしゅう】が根来寺学頭寺院智積院【ねごろじがくとうじいん】の住持となる | |||
安土桃山 | 1577 (天正5年) |
根来寺塔頭智積院の住持日秀が遷化し、玄宥【げんゆう】が後住となる | |||
1585 (天正13年) |
豊臣秀吉の焼き討ちにあい、玄宥能化【のうけ】ら高野山に逃れる | 1590 秀吉による全国統一 1592頃 長谷川等伯・久蔵親子及び一門、祥雲寺障壁画を完成させる 1593 長谷川久蔵没 |
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1598 (慶長3年) |
玄宥能化が徳川家康より京都北野に寺地を得て、智積院再興に踏み出す | 1600 関ヶ原の戦い |
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1601 (慶長6年) |
玄宥能化(中興第1世)が徳川家康より豊国【とよくに】神社の坊舎3ヵ所を賜り、智積院を再興する | 1610 長谷川等伯没 |
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江戸 | 1613 (慶長18年) |
日誉【にちよ】能化(第3世)が智積院法度・朱印状を賜る | |||
1615 (元和1年) |
日誉能化が徳川家康より祥雲寺【しょううんじ】を拝領する | ||||
1616 (元和2年) |
前年に拝領した「豊国ノ釣鐘」に、根来寺別院智積院の再興の旨を刻む | ||||
1619 (元和5年) |
幕府より能化隠居所として京都北野大報恩寺養命坊(千本釈迦堂)を拝領、上桂村から京都大鳳寺【たいほうじ】村(宇治市)など500石に替地 | ||||
1632 (寛永9年) |
元寿【げんじゅ】能化(第4世)が仙洞論義【せんとうろんぎ】を行う | 1637 島原の乱(~38) 1642 興教大師500年御遠忌 |
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1667 (寛文7年) |
運敞【うんしょう】能化(第7世)が密厳堂【みつごんどう】・三神祠拝殿・鐘楼・浴室などを移転・新築する | ||||
1673 (寛文13年- 延宝1年) |
運敞能化が密厳堂の前方に経蔵(運敞蔵)を建立し、新渡の経本などを納める | ||||
1674 (延宝2年) |
運敞能化が居室を造立、方丈【ほうじょう】の庭園(名勝庭園)を改修し「東山第一」と称される | ||||
1682 (天和2年) |
方丈護摩堂の出火により方丈客殿・大書院・玄関・庫裏【くり】などが延焼する | ||||
1684 (貞享1年) |
翌年にかけ、東福門院【とうふくもんいん】(徳川和子)の旧殿数棟が与えられ、方丈を再建する | 1685 生類憐みの令 |
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1690 (元禄3年) |
覚鑁【かくばん】に「興教大師【こうぎょうだいし】」の諡号が贈られる | ||||
1692 (元禄5年) |
妙法院より三河山3,432坪を借用し、学寮数十軒を建立する | ||||
1696 (元禄9年) |
高野山から伝わる竪義【りゅうぎ】(伝法大会)がはじめて智山で行われる | 1702 松尾芭蕉『奥の細道』刊行 |
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1705 (宝永2年) |
5代将軍徳川綱吉の生母桂昌院【けいしょういん】の喜捨をもとに金堂を建立する | 1707 富士山噴火 |
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1709 (宝永6年) |
覚眼【かくげん】能化(第11世)の護持院僧録【ごじいんそうろく】昇進紀念として天満宮を建立する | ||||
1727 (享保12年) |
長谷川等伯の金碧障壁画を方丈大書院の襖として修補する | 1732 享保の大飢饉 1782 天明の飢饉 |
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1788 (天明8年) |
天明の大火により閑院宮典仁【かんいんのみやすけひと】親王(光格天皇の父)が方丈を仮御殿とする | ||||
1789 (寛政1年) |
大師堂【だいしどう】を建立する | ||||
1812 (文化9年) |
智積院学侶墓地に阿弥陀仏を建立する | 1833 天保の飢饉(~39) 1834 弘法大師1000年御遠忌 |
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1851 (嘉永4年) |
求聞持堂【ぐもんじどう】を建立する | 1853 ペリー来航 |
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1863 (文久3年) |
土佐藩山内容堂【やまうちようどう】の陣所となり、方丈・勧学院【かんがくいん】などを土佐藩に貸し出す | 1867 大政奉還 1868 神仏分離令、 廃仏毀釈運動 |
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明治 | 1869 (明治2年) |
勧学院・大仲会所が爆発炎上する、後日勧学院本尊不動明王が方丈玄関で発見される(不動明王火中飛行の伝説) | |||
1882 (明治15年) |
金堂が炎上、本尊大日如来などを焼失する | 1887 土田麦僊生まれる(1936没) 1891 堂本印象生まれる(1975没) |
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1892 (明治25年) |
大書院、客殿藤絵間の金襖(彩色の秋草絵)などが盗難にあう | 1894 日清戦争(~97) 1897 古社寺保存法制定 |
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1895 (明治28年) |
佐伯隆基能化(第44世)が三山(成田山新勝寺・川崎大師平間寺・髙尾山藥王院)と協力し、私財を投じて唐門・宸殿【しんでん】などの大改修を行う | ||||
1900 (明治33年) |
「新義【しんぎ】真言宗智山派」を公称し、智積院は総本山となる | 1904 日露戦争 1914 第一次世界大戦(~18) 1923 関東大震災 |
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大正 | 1924年 (大正13年) |
御文庫・宝蔵の什宝整理のため宝物整理委員により調査を開始する | |||
1925 (大正14年) |
智積院新文庫を新築する | ||||
昭和 | 1927 (昭和2年) |
納骨堂を建立する | 1929 国宝保存法制定 |
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1935 (昭和10年) |
弘法大師1100年御遠忌を記念し、宝物館を建築する | 1939 第二次世界大戦(~45) 1941 太平洋戦争(~45) 田渕俊夫生まれる |
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1946 (昭和21年) |
「真言宗智山派」を公称する | ||||
1947 (昭和22年) |
大書院の国宝障壁画が合成樹脂を使用して修復される 宸殿から出火し同殿全焼、方丈殿(仮本堂)、大書院・集議の間・三山の間・内仏の間・居間・回廊・唐門、さらに国宝の障壁画16面を焼失する |
1948 後藤順一生まれる 1950 文化財保護法制定 |
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1952 (昭和27年) |
智積院障壁画が国宝に指定される 智積院本堂(旧京都浄土宗大雲院本堂)落成、玄宥僧正350年御遠忌法要を奉修する |
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1958 (昭和33年) |
堂本印象【どうもといんしょう】により宸殿襖絵が描かれる 三山の寄進により宸殿が再建される |
1964 東京オリンピック開催 |
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1966 (昭和41年) |
智積院会館を建立し、翌42年2月1日に開館する | ||||
1968 (昭和43年) |
国宝障壁画・屏風を保存する収蔵庫が完成する | ||||
1970 (昭和45年) |
京都市立芸術大学木造校舎の火災に伴い、智積院旧宝物館も類焼する | 1970 日本万国博覧会開催 | |||
1975 (昭和50年) |
弘法大師御誕生1200年の記念に金堂を再建する | ||||
1984 (昭和59年) |
弘法大師1150年御遠忌に際し法会を奉修 | ||||
1986 (昭和61年) |
京都国立博物館による什物調査が実施される | ||||
平成 | 1990 (平成2年) |
不動堂(現 明王殿)を金堂南側へ移築する | |||
1992 (平成4年) |
講堂新築工事前に大書院南側の発掘調査実施、祥雲寺時代の遺構が発見される | ||||
1994 (平成6年) |
大師堂・密厳堂・三神祠本殿(中殿 三部権現、右殿 九社明神、左殿 春日明神)・三神祠拝殿・鐘楼の七棟及び付属として大師堂の棟札・求聞持堂・藤森社・運敞蔵が京都府指定有形文化財(建造物)に指定される | ||||
1995 (平成7年) |
興教大師850年御遠忌を記念し講堂を再建する 後藤順一により集会の間襖絵が作成される |
1995 阪神淡路大震災 | |||
1996 (平成8年) |
智山書庫が完成し、宗務庁内に収蔵していた旧智山書庫の典籍類を移動する | ||||
1998 (平成10年) |
「智専の鐘」が寄進、建立される | ||||
2006 (平成18年) |
参道左側に玄宥僧正尊像を建立、開眼法要を挙行する | ||||
2008 (平成20年) |
講堂に田渕俊夫【たぶちとしお】による襖絵が奉納される | 2011 東日本大震災 |
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2018 (平成30年) |
明王殿・大書院・本坊(庫裏)・総門・唐門・中門の6棟が京都府暫定登録文化財に指定される | ||||
令和 | 2019 (平成31年- 令和元年) |
旧智積院会館を解体、翌2年に新しい智積院会館が完成する | 2021 東京オリンピック開催 |
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2023 (令和5年) |
弘法大師御誕生1250年を記念して、真言宗智山派総本山智積院展示収蔵庫宝物館開館 |
参照:『智積院誌』、『智積院史』、『智山年表 近世編』、『智山年表 近現代編』、『最勝院史』
※ 能化名の後の()は世代数を示す