仏事のQ&A

葬儀や法事を行いたいのですが、菩提寺が遠方の故郷にあります。故郷へ戻る時間もとれず、菩提寺のご住職に現在の住まいへ来ていただくことも躊躇っており悩んでいます。

真言宗智山派宗務庁(しんごんしゅうちさんはしゅうむちょう)から菩提寺へご相談内容をお伝えするなど、お手伝いいたします。
こちらよりお問い合わせください。

菩提寺をもっていないのですが、真言宗智山派の寺院で葬儀や法事を行いたいと思っています。寺院へ直接お願いしても良いのか困っています。

真言宗智山派宗務庁からお近くの寺院をご紹介しております。
こちらよりお問い合わせください。

菩提寺(ぼだいじ)とは何ですか?

菩提寺とは、ご先祖さまのお墓があるお寺、またはご先祖さまのご供養のために新たにお墓を求めたお寺のことですが、この菩提寺の「菩提」とは、古代インドのことば、サンスクリット語の「bodhi(ボーディ)」の音を漢字で表したもので、「煩悩(ぼんのう)のない、仏さまの安らかな悟りの境地」を意味します。ですから菩提寺は、ご先祖さまが眠る霊場であるとともに、皆さん自身がこころの拠りどころとし、「菩提」を求め、心を磨く修行道場でもあります。

葬儀とは何ですか?どのような心がけをすればいいですか?(いいお葬式とは、どういうものですか?)

人類は、その始まりから死者を葬り、その魂を鎮め慰めるための葬送儀礼=葬儀を行ってきました。葬送儀礼は民族・宗教によって、それぞれ独自の形がありますが、日本の仏教の葬送儀礼は一定の儀式によって故人の生前の所業を清めて聖なる存在である「精霊(しょうりょう)」と成し、成仏(じょうぶつ)や浄土往生(じょうどおうじょう)といって、故人の御霊(みたま)を生命の根源である仏さまの安楽の世界に送り還すために「ともらう」ことを目的としています。葬儀の後も亡き人の成仏を願い、敬虔な祈りを捧げ、物心両面の供養を重ねることにより、精霊は仏さまの大いなるいのちの世界で安らぐことができると信じられてきています。

真言宗の葬儀の要点は、故人を大日如来(だいにちにょらい)の曼荼羅(まんだら)世界に引き入れて、仏弟子(ぶつでし)にすることにあります。この作法を「引導(いんどう)」といい、真言宗で師から弟子に法を授ける時に行われる灌頂(かんじょう)という儀式をもとにしています。故人は、導師(どうし)から戒や真言宗の奥義を授かり、戒名を授けられて仏弟子となり、仏さまの世界=密厳浄土(みつごんじょうど)へと導かれていくのです。

最近、葬儀と平行して告別式が営まれることが多くなっています。告別式は、参会者が故人に最後の別れを告げる式で、本来、葬儀とは違います。しかし、葬儀によって安らかに仏さまの世界に旅立っていく故人に対し、参会者が故人の冥福を祈ってお焼香や合掌・礼拝することは、とても大切な供養です。

お葬式で行われるさまざまな行為の意味や役割を実感するためには、普段から菩提寺の行事に参加して信仰心を養い、住職と仏事について話し合っておくことが大切です。

お葬式ではどのような心がけをすればいいですか?

お葬式は、私たちの生命には限りがあることを思い知らされる場面です。私たちは、この厳粛な事実を見つめなければなりません。しかし、死は終わりではなく、死の場面に直面して、今を生きることの重みを知ることが大切です。故人と自分のつながりを感じ、故人の生前の人柄を偲びながら、ご縁をいただいたこと、さまざまな教えをいただいたことに感謝の祈りをささげましょう。

お葬式は故人がご本尊さま仏さまの大いなるいのちの世界に導かれていく場です。遺された家族や親族縁者は、自分自身の善行によって、その導きを助けていく役目があります。故人が安心をして仏さまの世界に往けるように心から願うことが大切です。お焼香や合掌、礼拝などの供養はその願いを形にあらわしたものです。他人に親切にする、やさしい言葉で話すなどの日常的な善い行いも、故人への供養になるのです。

そして、初七日から年回忌へと供養を続けていく中で、私たちは故人に見守られ、生きる力をいただくことができるのです。

戒名(かいみょう)とは何ですか?

戒名は仏弟子としての名前であり、仏さまとしての徳を表す名前です。真言宗の葬儀において、故人の成仏のために、俗名に替えて導師から授けられるのが戒名です。故人は戒名を授かることで仏弟子となり、十三仏(じゅうさんぶつ)の導きを得て、ご先祖さまの一員となり、子孫を代々に亙って守っていく存在となるのです。

戒名は「〇〇院△△◎◎居士(女性は大姉)」や「△△◎◎信士(女性は信女)」などが授けられます。「△△」は「道号(どうごう)」といわれ、仏道修行に入ったことをあらわす呼び名ですが、今日では謚(おくりな)として、生前の功績や故人の人柄を表す文字が当てられます。「◎◎」は「法名(ほうみょう)」といわれ、仏さまの名をあらわしているので、「◎◎」のみを戒名ともいいます.戒を授かった仏さまの名としてふさわしい文字が当てられます。道号や戒名に俗名の-字を折り込むこともあります。

「〇〇院」は院号(いんごう)といわれ、その起源は天皇が譲位して出家した後に住んだ仏堂の名にちなんで、〇〇院と呼称したことに始まります。また、江戸時代の将軍や大名には院殿号が授けられました。このことから、寺院の伽藍(がらん)を建立したり、寺院の興隆に大きな功績のあった故人に授けられてきています。院号は寺院の名にふさわしい文字、故人の徳を称えた文字が当てられます。

戒名は故人の徳を称えるとともに、成仏への祈りと子孫の導きへの願いを込めて授けられる大切な名前です。戒名は菩提寺の過去帳に記載され、大切に後世に受け継がれていきます。
※刊行物ご案内にて、仏事がわかるリーフレット「戒名ってなに?」を掲載しております。ご参考ください。

お仏壇(ぶつだん)とはなんですか?

お仏壇は、家の中にご本尊さまを安置するお堂で、仏さまの説法の世界です。朝に夕に仏さまに一日の加護を祈り、ご先祖さまや亡き人の冥福を念じ、家庭の中で家族の心の拠り所です。

お仏壇の中には、私たちの「生きる力」の象徴であるご本尊さま、生きる教えを具体的に私たちに説かれた弘法大師、興教大師の両祖大師、そして、私たちの生命の源であるご先祖さまのお位牌をお祀りします。

お仏壇は、私たちが日々信仰心を養う拠り所であり、ご先祖さまのお位牌をお祀りする神聖な場所ですから、家族みんなが日々拝みやすく、また清浄な場所を選びたいものです。あまり強い日差しが入らない所で、家族が頻繁に出入りしたり、通行する所は避け、心静かにおまいりできるところが良いでしょう。

目に見えない大いなる世界を敬い、仏さまの教えを日々のくらしの中に生かしていくために、お仏壇にお茶・ご飯・水をお供えして『智山勤行式(ちさんごんぎょうしき)』をお唱えします(時間がない場合には光明真言(こうみょうしんごん)やご宝号(ほうごう)のみでも結構です)。朝夕のお勤めは仏さまとともにあるという「安らかな心」で日々を強く生きるために欠くことのできないものです。

お仏壇を家庭の中心にすえ日々拝む。このことで、家族の一人ひとりが心を静め、自分の生き方を問いかける場となっていくことでしょう。
※刊行物ご案内にて、教化活動リーフレット「お仏壇」を掲載しております。ご参考ください。

「お仏壇」のまつり方の一例
位牌(いはい)とは何ですか?

位牌は亡くなった人の戒名を書き記してお祀りするもので、故人の御魂が宿り安らぐ依(よ)り代(しろ)と信じられてきています。

真言宗では位牌に書かれた戒名の上に梵字(ぼんじ)の阿字(あじ)を記します。阿字は大日如来を表しており、故人が大日如来のお弟子として、大いなるいのちの世界で安らいでいることを示しています。また故人が子どもの場合は、子どもを守り導いてくださる地蔵菩薩(じぞうぼさつ)を表す訶字(かじ)を記します。

位牌は葬具としてお墓に安置する「野位牌(のいはい)」、四十九日まで祭壇に祀っておく白木の「内位牌(うちいはい)」、仏壇に祀る「本位牌(ほんいはい)」の三種類があります。「本位牌」は漆塗りのものが主なので「塗り位牌」ともいわれます。

位牌については、3回忌までは親の位牌(白木)を子供全員が祀る、あるいは回忌ごとに戒名紙を貼り付けていくなど、地域によって習慣の違いがありますので、その土地のお寺に聞くことが大切です。

開眼(かいげん)とはどういうことですか?

お仏壇を求めたら、必ず開眼供養をしてもらうようにしましょう。開眼とはご本尊さまの眼を開くという意味です。眼は自分やこの世を見る観察力となり、詳しくは次の五種があります。

  1. ①肉眼(にくげん)-人間の眼。感覚器官としての眼。
  2. ②天眼(てんげん)-天上の神々の眼。遠近、内外、昼夜、上下にかかわりなく見ることができる、望遠鏡や顕微鏡のように超人的な眼。
  3. ③慧眼(えげん)-智慧のまなざし。人間のさまざまな姿を観察し、苦悩・災厄の原因を見極め、その解決法を見出す眼。
  4. ④法眼(ほうげん)-叡智の眼。この世は諸行無常、やむことなく生成流転する真理を見極めるその在り方を知る眼。
  5. ⑤仏眼(ぶつげん)-ご本尊さまの眼。上の四種の眼を総括する慈悲のまなざし。

このように開眼供養とは、仏像、仏画、位牌、墓石、塔婆などが、ご本尊さまとしての仏徳をそなえるための作法です。一方、位牌、墓石などを修繕、改修したりする場合には、前もって「開眼もどし」の作法をし、修復後に再び開眼作法、供養の法要をつとめます。また、お仏壇だけを新しくした時は開眼供養ではなく、遷座(せんざ=ご本尊さまを移す作法)の法要をするのがいいでしょう。

お墓について教えてください。

亡き人のご冥福をお祈りするとき、私たちは必ずお墓参りをします。お墓は亡き人の遺骸(遺骨)が納められている場所というだけでなく、亡き人と語り合い、自己のいのちを見つめる場所でもあります。

今からおよそ2500年前、お釈迦さまが亡くなられて、ご遺体は茶毘(だび)にふされました。信者たちはお釈迦さまの遺骨(舎利・しゃり)を部族ごとに8つに分けて持ち帰り、舎利塔(しゃりとう、仏塔)を建てて心のよりどころとしたと伝えられています。この舎利塔こそ仏教でいう「お墓」のはじまりといえます。

日本においては死者の亡骸や骨を埋めた場所の標識として、平らなものを墓、土を盛ったものを塚、高く築いたものを墳(ふん)・塋(えい)と呼びました。その後、仏教の流布により、火葬墳が多く作られるようになりました。

古来、お墓は山の中腹に作られ、里に福を授ける先祖霊の眠る場所として尊ばれてきました。室町時代以降は、寺という聖地に祀る「境内墓」、より身近に先祖や故人の精霊を祀る場として宅地の「家墓」や耕作地の「合祀墓」など、土地土地の信仰に合った様々な形態の墓が造られるようになってきました。近年多くなった霊園形式のお墓も、このような延長線上にあると言えます。

真言宗では、仏塔は大日如来そのものの象徴として説きます。そのために仏塔は真言宗の教えに沿った独特の形となり、それを「五輪塔(ごりんとう)」と呼んでいます。「五輪塔」形の墓石塔の出現によって、真言宗のお墓は明確にその教えを形として表すことができたのです。

「五輪」とは、この世の一切の存在の構成要素、地・水・火・風・空の五つを指し、この要素のことを「大」とも「輪」ともいいます。現在の一般的な四角柱形(棹石形)の墓石塔は、五輪塔の「地」の部分に上の四大が含まれるものとされ、五輪塔と同じ功徳があります。ですから墓石塔を拝むことは、亡き人の冥福を祈るとともに、ご本尊・大日如来そのものを拝むことを意味しています。

また、墓石塔を建立したら「開眼供養」=(御魂入れ)という法要を行うことが大切です。この法要を営むことにより、墓石塔はただの石ではなく、大日如来そのものになるのです。

  • 五輪塔
  • お墓
お墓参りでは、どのようなことを心がけたらいいでしょうか。

お墓参りは、ご先祖さまへの供養を通して、自分たちの生命のすがたを見つめ直し、私たちが本来もっている清らかな心を自分自身で発見する大切なときです。家族そろってご先祖さまへお参りをし、いまこうして生き、生かされていることに感謝すれば、心は潤いに満ち、日々の生活は明るくなるでしょう。

そのとき心がけていただきたいことは、故人はお葬式で戒名を授かり、引導をわたされたということを思い出して、故人がご本尊さまと縁を深めていけるようにお祈りしていただくことです。この営みを追善(ついぜん)といいますが、そのために菩提寺に参拝し、故人のためにご本尊さまにお祈りをすることが大切です。ですから、菩提寺にお墓がある場合にはお墓と一緒にご本尊さまにもお参りをするように、また、お墓が共同墓地や霊園など、菩提寺から離れている場合でも、折りあるごとに菩提寺にお参りするよう心がけたいものです。
※刊行物ご案内にて、仏事がわかるリーフレット「お彼岸とお墓参り」を掲載しております。ご参考ください。

お墓参り
お塔婆(とうば)とはなんですか?

お塔婆は、亡き人の追善供養のために建立する仏塔で、正式には「卒塔婆(そとうば)」といいます。卒塔婆は古代インドで塔を意味する「ストゥーパ」という言葉を漢字に写した語です。真言密教ではそれを立体的な「五輪塔」で表現しますが、鎌倉時代になると「板碑(いたひ)塔婆」が、室町時代の終わりごろになると「木柱形の塔婆」が、そして江戸時代になると、今日私たちが建立している木製の「板塔婆(いたとうば)」が一般的になっていきました。

板塔婆は、元々は五輪の塔でしたので、その形も、上から「宝珠」「半月」「三角」「円形」「方形」を表す刻み込みがあり、そこに「キャ」「カ」「ラ」「バ」「ア」と梵字が記されています。この形と文字はこの世界を構成する「空」「風」「火」「水」「地」の五つの要素(五大または五輪という)を表し、それはそのまま、ご本尊・大日如来を象徴しています。

塔婆の表には、胎蔵(たいぞう)大日如来の五字真言「キャ」「カ」「ラ」「バ」「ア」の梵字と、その下に、年回忌の十三仏や供養仏の種字と真言、戒名を書きます。これは、大日如来の大いなるいのちの世界で、故人が母親のふところに安らぐように、ご本尊さまに見守られていることを意味しています。

塔婆の裏には、金剛界(こんごうかい)大日如来の種字である「バン字」、その下に苦厄災難を除く「破地獄(はじごく)の真言」、そして「南無遍照金剛(なむへんじょうこんごう)」と「年月日」、「施主名」を書きます。

塔婆を建てる意味は、亡き人のための大きな功徳であり、同時に自分の信仰心を深めていくことでもあります。私たちも精霊(しょうりょう)も、ともにご本尊さまの大いなる恵みの中に生かされていることを願い、施主から精霊への「心からの便り」となるものです。塔婆を建てることは仏像を一体つくるのと同じくらいの功徳があるのです。
※刊行物ご案内にて、仏事がわかるリーフレット「お塔婆ってなに?」を掲載しております。ご参考ください。

お塔婆
年回忌法要とは何ですか?

室町時代頃に13の忌日(7日×7、100日、1年、3年、7年、13年、33年)が定まり、お導きの仏さとして十三仏(不動(ふどう)、釈迦(しゃか)、文殊(もんじゅ)、普賢(ふげん)、地蔵(じぞう)、弥勒(みろく)、薬師(やくし)、観音(かんのん)、勢至(せいし)、阿弥陀(あみだ)、阿閦(あしゅく)、大日(だいにち)、虚空蔵(こくうぞう)の仏さま)が配当され、精霊は施主の勤めるご法事を縁として十三仏を順次巡り、それぞれの仏・菩薩の徳を授かり、子孫に福徳を施してくださると信じられてきました。そこで、今日でも特に功徳があるとされる年回(1年、3年、7年、13年、33年など)の故人の命日に、年回忌法要を行い故人の冥福や菩提のために法要を営むことが大切とされています。

年回忌法要では、亡き人の遺族が施主となって、仏さまに焼香・花・飯食(おんじき、供物)・燈明(とうみょう)・卒塔婆(そとば、とうば)などを供養し、導師(どうし、僧侶)が、その善行の功徳が故人(精霊)の冥福や菩提のためになるように読経や修法を行います。
亡くなった後に、追って福徳を施し故人に代わって善行を修するための供養なので「追善供養」といい、功徳を故人の冥福や菩提のために廻らし向けるので「追善廻向(ついぜんえこう)」ともいいます。
※刊行物ご案内にて、仏事がわかるリーフレット「ご法事の意味」を掲載しております。ご参考ください。

十三仏とは何ですか?

日本の仏教では、亡くなった人は、葬儀によって仏弟子となり、十三の仏さまを巡って仏徳を授かり、その福徳を遺族・子孫に授けながら成仏していくとされます。遺族は、亡くなった人のために仏さまに供養するのに、特に功徳があるとされる日を「忌日(きじつ)」として、追善供養の法要(法事)を営んだり墓参をしたりしてきました。

その忌日は、初七日忌から二七日(ふたなのか)忌・三七日(みなのか)忌・四七日(よなのか)忌・五七日(三十五)忌・六七日(むなのか)忌・七七日(四十九日)忌・百カ日忌・一周忌・三回忌・七回忌・十三回忌・三十三回忌までの十三あり、忌日のご本尊さまとしてお導きをいただく十三の仏さまが配当され、総称して「十三仏」とお呼びします。

現在でも、お葬式が終わってから、隣組の人たちが十三仏の名号や御詠歌を唱えて故人の冥福を祈る、「念仏(ねんぶつ)」とも「百万遍(ひゃくまんべん)」ともいわれるしきたりが残っています。故人を独りぼっちにしない、寂しい思いをさせないで、間違いなく密厳浄土に往ってほしいという温かい志が込められています。

この十三仏信仰の始まりは室町時代にまで溯り、宗派・地域を問わず大勢の人々に信仰され、今日に伝えられています。この信仰に基づく「ご法事(=年回忌供養)」は、仏さまと精霊(=亡き人)と私たちとの三者が一体となる聖なる場であり、お焼香や花・供物などの供養が精霊の成仏のためになるだけでなく、同時に参列した遺族・親族・知人などが、善行の功徳を積んで自己の幸せと死後の安楽のためになるもの、と信じられてきています。

十三仏の仏さまとその功徳は次の通りです。

  • ・初七日忌 - 不動明王(ふどうみょうおう)
    功徳-煩悩(ぼんのう)を焼き尽くし、迷いを断ち切り、信心を定めて強い力で導いてくれます。
  • ・二七日忌 - 釈迦如来(しゃかにょらい)
    功徳-説法によって煩悩や邪見(じゃけん、誤った信仰や考え方)を破り、正しい信仰に導いてくれます。
  • ・三七日忌 - 文殊菩薩(もんじゅぼさつ)
    功徳-分けへだてする愚かさを断ち、物事を正しく判断する智慧(ちえ)を授けてくれます。
  • ・四七日忌 - 普賢菩薩(ふげんぼさつ)
    功徳-悟りを求める清らかな心、そして悟りをめざした実践行(じっせんぎょう)に導いてくれます。
  • ・五七日忌 - 地蔵菩薩(じぞうぼさつ)
    功徳-あらゆるものの苦しみをうけとめ、その苦しみに負けない力を授けてくれます。
  • ・六七日忌 - 弥勒菩薩(みろくぼさつ)
    功徳-すべてのものに対する慈しみの心を授けてくれます。
  • ・七七日忌 - 薬師如来(やくしにょらい)
    功徳-心身の病苦を除き、苦しみや恐れを除いてくれます。
  • ・百日忌 - 観音菩薩(かんのんぼさつ)
     功徳-世の中を広く観察し、すべての苦しみを除く、深い思いやりの心を授けてくれます。
  • ・一周忌 - 勢至菩薩(せいしぼさつ)
    功徳-我欲、執着を滅し、とらわれを除く心を授けてくれます。
  • ・三回忌 - 阿弥陀如来(あみだにょらい)
    功徳-生死を離れた、安らかなる心を授けてくれます。
  • ・七回忌 - 阿閦如来(あしゅくにょらい)
    功徳-何ごとにも揺らがない心と、怒りを離れた安らかなる心を授けてくれます。
  • ・十三回忌 - 大日如来(だいにちにょらい)
    功徳-生命の尊さを知らしめ、生まれながらにそなえている自身の清らかな心に気づかせてくれます。
  • ・三十三回忌 - 虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)
    功徳-福徳(ふくとく)と智慧を授け、生命の根源に気づかせてくれます。

なお、年回法要は上の他に十七回忌、二十三回忌、二十七回忌、三十七回忌、四十三回忌、四十七回忌、五十回忌、百回忌と営まれ、それぞれ大日如来がお導き下さる仏さまと定められています。

十三仏
お盆、新盆(にいぼん、しんぼん、あらぼん)とは何ですか?

お盆とは、陰暦7月15日の前後数日間をいい、新仏やご先祖さまの精霊をわが家に迎え、供養し、家族と亡き人が共に過ごす期間です。「盆供(ぼんく)」「魂祭(みたままつり)」ともよばれ、また、四十九日忌(場合によっては三十五日忌)の法事が済んで初めて迎えるお盆のことを「新盆(にいぼん)」「シン盆」「アラ盆」などと呼びます。

「お盆」という言葉は正確には「孟蘭盆(うらぼん)」といい、インドの古い言葉「ウランバナ」を中国で音訳したものです。お盆の由来については『仏説孟蘭盆経(ぶっせつうらぼんぎょう)』に次の様に説かれています。

お釈迦さまの十大弟子の一人に、あの世まで見通せる千里眼を持った神通力第一といわれる目連(もくれん)尊者がおられました。その目連尊者がある日、亡くなった母親をその神通力で探してみると、驚いたことに母親が餓鬼(がき)の世界に堕ちているではありませんか。餓鬼の世界とは、どんなにおなかが空き、喉が渇いても、食べることも飲むこともできない、飢えと渇きの苦しみの世界です。目連尊者の母親も、食べ物や水を口もとに運ぶと、それはたちまち炎となって燃え上がり、口にすることが出来ません。

悲嘆に暮れた目連尊者は、何とかして母を救うことは出来ないものかとお釈迦さまに教えを請いました。するとお釈迦さまは説かれました。「汝の母は、生前の物惜しみをし続けた悪業のために餓鬼世界に堕ちたのである。その悪果(あっか)から救うために、7月15日は安居(あんご=一定期間の修行)を終える日も、修行僧たちに百味の施食供養(せじきくよう)をし、そのようにして積んだ功徳を餓鬼道(がきどう)で苦しんでいる者のために回向(えこう=転回して振り向ける)しなさい」と。そこで、目連尊者が教えにしたがって供養すると、母親は餓鬼の苦しみから救われ、天界に往生したのでした。

この経典の教えがやがて、新仏(あらぼとけ、しんぼとけ)やご先祖さまに対する感謝、そして追善供養の気持ちへとつながり、今日のお盆となりました。日本ではおよそ1300年前から行われ、江戸時代になると各家で「精霊棚(しょうりょうだな)」を作り、ご先祖さまの霊をお迎えしてお祀りするようになり、菩提寺の住職がその精霊の冥福を祈るために各家庭を訪問し読経する「棚経(たなぎょう)」が始まりました。

お盆は、亡き人への思いを新たにする機会であり、ともすれば忘れがちになるご先祖さまから連なる歴史の積み重ねの上に今日の自分があるという「いのちのつながり」に目覚める時でもあるのです。
※刊行物ご案内にて、仏事がわかるリーフレット「お盆」を掲載しております。ご参考ください。

お盆の迎え方(精霊棚(しょうりょうだな)、迎え火・送り火)教えてください。

お盆にご先祖さまを祀る「精霊棚」は、地域によって多種多様な飾り方がありますが、ここではお仏壇を利用した飾り方の一例を紹介します。

先ず、お仏壇の前に座卓を置き、その上に真菰(まこも)、または白布を敷き精霊棚をつくります。精霊棚の上には、「お位牌」を正面に、「香炉」「花立て」「ろうそく立て」「打ち鳴らし」などをお仏壇から移して置き、お供物として季節の果物、煮物やソウメンなどの精進料理、故人が生前に好んだものなどをお供えします(お供物の内容も地域によって違います)。

お盆特有のお供え物が「水の子(みずノこ)」と「閼伽水(あかみず)」です。まず、深めの器(深鉢やスープ皿のようなもの)を二つ用意し、その中に蓮の葉を敷きます。「水の子」は、一方の器に賽(さい)の目に刻んだ「ナス」「キュウリ」と「洗米」などを盛り、「閼伽水」は、もう一方の器に「きれいな水」を入れ、その器の上にミソハギの花を5・6本束ねた「みそはぎの束」(長さ20~30㎝)を添えておきます。

精霊棚をお参りする時には、「みそはぎの束」に「閼伽水」を含ませて「水の子」に注ぎます。これは餓鬼に対して飯食を施し供養して救済することを表し、この功徳が、ご先祖さまやあらゆる精霊の喜びとなるのです。

また、「キュウリの馬」と「ナスの牛」もお飾りします。これは「キュウリ」と「ナス」に、オガラや割り箸で四本の足をつけ馬と牛に見たてたもので、ご先祖さまの乗り物を表します。お盆を迎えるに際し「さあ、ご先祖さま、この馬に乗って早く懐かしいわが家に帰ってきてください」と、お盆の終わりには「急いで帰ることはありません。牛の背に乗ってゆっくりと仏さまの世界にお戻りください」との心を形にしています(馬と牛をワラで作る地域もあります)。

さらには、精霊棚の前面や四隅に青竹を立て、飾り縄を結び、その飾り縄に「ほうずき」を吊す飾り方もあります。この「ほうずき」は提灯を模したもので、迷いの闇を照らす智慧の灯火を表します。

お盆には「迎え火」「送り火」の習わしがあります。「迎え火」は、お盆入りの13日の夕方、玄関先や門口でオガラや肥え松(ヒデ)を焚いて、その灯りをたよりに精霊にわが家に帰ってきてもらおうとする歓迎の灯火です。その火を提灯に移して家に入り、精霊棚のロウソクに火をともし、お線香を供えてお参りします。また、お墓に行き、供えたお線香の火を提灯に移し、その提灯の火を家まで持ち帰って「お迎え」をする地域もあります。

「送り火」は、お盆明けの15日(地域によっては16日)の夕刻、迎え火と同様に玄関先や門口で火を焚き、仏さまの世界へ戻る精霊の薄暗い足元を灯りで照らし、気をつけて帰ってもらおうとする見送りの灯火です。精霊棚のロウソクから提灯をつけ、その灯りでお墓まで送る地域もあります。

ぜひ、お子さまやお孫さまと一緒にお盆のお飾りを作り、ご先祖さまをお迎えし、子どもたちにお盆への関心、ご先祖さまへの思いを伝えていきたいものです。
※刊行物ご案内にて、仏事がわかるリーフレット「お盆」を掲載しております。ご参考ください。

「精霊棚」のまつり方の一例
除夜の鐘(じょやのかね)とは何ですか?

大晦日(おおみそか)の夜に撞かれる「除夜の鐘」の起源は、中国の宋の時代(10~12世紀)までさかのぼります。日本では鎌倉時代以降、特に禅宗の寺院で中国の寺院にならい朝暮の2回、108の鐘を撞くようになり、やがて室町時代の頃から大晦日の夜だけ撞かれるようになったものといわれています。

この除夜の鐘の「除夜」とは、「夜を除く」ということですが、ここでいう夜とは暗闇でなにも見えない状態をいい、それが転じて暗闇に覆われて真実が見えない「無明(むみょう)」を意味します。そして、私たちを無明の状態にしているのが「貪(むさぼり)」「瞋(いかり)」「痴(おろかさ)」など108もあるといわれる「煩悩(ぼんのう)=迷いの心」です。つまり、108の除夜の鐘の数は私たち誰もの心を惑わすこれらの煩悩の数に由来しています。

お大師さま(弘法大師)は、「鐘の知識を勧め唱うる文」(性霊集第9)の中で「一打鐘聲當願衆生脱三界苦得見菩提」と、「鐘をひとつ打つその響きごとに、私たちがすべての苦しみから解脱(げだつ)し、安らかな悟りの境地を得ることを願う」ことを、示されていいます。除夜の鐘の音を聞きながら、一年の最後に日頃の心の波立ちや迷いを一つ一つ打ち払って、清らかな心で新年を迎えてみてはいかがでしょうか。

除夜の鐘の打ち方
初詣(はつもうで)とは何ですか?

初詣とは年が明けてから、初めて神社や寺院にお参りすることをいいます。 元旦の朝、私たちは「明けましておめでとう」と祝い合いますが、それはなぜでしょう。考えてみれば、私たちは誰もが先のことは何ひとつわかりません。いつなんどき事故にあったり、病気にかかったりするかもしれません。しかし、昨年一年、自身も家族も無事過ごすことができ、また今日こうして新年を迎えることができた――。そう思うと自分の力を越えた不思議に対する感謝の念が自ずとわき上がってくるはずです。昔の人はそのような気持ちを「明けましておめでとう」という挨拶で表したのです。

私たちは初詣で「今年も家族が円満で健康で過ごせますように」「仕事に学業に精一杯がんばれますように」と、新年の祈りを捧げます。また、菩提寺や有縁(うえん)の寺の初護摩(はつごま)の修行や修正会(しゅしょうえ)などの行事に参加され、仏さまとの絆を一層堅固なものにする方もいるでしょう。

寺院の初詣とは、一年の最初に仏さまとご縁を結ぶ大切な行事です。仏さまの加護を念じながら、定めた目標の実現に向かって一日一日と精進を重ねることを誓うことが大切なのです。

初詣
節分会(せつぶんえ)とは何ですか?

節分とは季節の変わり目のことで、立春・立夏・立秋・立冬の前日をいいます。旧暦では立春から新しい年が始まるので、立春の前日である春の節分は、その年の最後ということになり、新年を迎える意味で特に重視されました。ですから今日では、節分というと立春の節分を指すようになりました。

節分には日暮れ前に大豆を煎り、夜になってその豆を家屋の外へ投げ出します。この習慣は平安時代に宮廷で行われていた大晦日の夜の行事、疫病を追い払う「追儺(ついな)」と結びついているともいわれます。いずれにせよ、新年を迎えるに際し、悪鬼を払い、幸福を願うことが目的です。

仏教では、この鬼を人間を迷わす煩悩に見立てますが、密教では人間を惑わす煩悩である鬼も、仏さまの働きによって清められると、私たちを助けてくれる存在になると考えます。そこで多くの真言宗の寺院では、節分の行事として読経や護摩供を行い、「除災招福」を祈願します。また、年男・年女を選び、にぎにぎしく豆まきを行います。

常楽会(じょうらくえ)とは何ですか?

常楽会とは、お釈迦さまが入滅(にゅうめつ)された2月15日に、その徳をしのび、感謝を捧げるために行う法要で、一般的には「涅槃会(ねはんえ)」といいます。

涅槃とは、お釈迦さまの入滅と、お釈迦さまが完全な悟りを得たことを指しますが、真言宗智山派ではこの涅槃会を、煩悩を滅し涅槃を得たお釈迦さまの徳性を表す四徳「常(じょう)・楽(らく)・我(が)・浄(じょう)」から、その前の二字「常楽」をとって「常楽会」と呼んでいます。「常」とは永遠に変わらぬこと、「楽」とは苦悩がなく安らかなこと、「我」とはなにものにも縛られず自由自在であること、「浄」とは一切の汚れを離れていることです。

常楽会(涅槃会)では通常、お釈迦さまの入滅されたお姿と、嘆き悲しむ多くの弟子や信者や動物たちの姿が描かれた「涅槃図(ねはんず)」を掛け、お釈迦さまの入滅時の様子を説いた『涅槃経(ねはんぎょう)』や最後の教えを説いた『遺教経(ゆいきょうぎょう)』などを読誦します。

お彼岸(ひがん)とは何ですか?

お彼岸は「彼岸会(ひがんえ)」という仏教行事で、年2回、昼と夜の長さが同じになる「春分の日」と「秋分の日」の前後3日間を含めた1週間を期間とします。昼と夜の長さが等しいことを、苦と楽のどちらにも偏らないお釈迦さまの修行方法である「中道(ちゅうどう)」に譬え、彼岸会の期間でお釈迦さまの教えを身につけようとするものです。

彼岸とは、正しくは「到彼岸(とうひがん)」といい、古代インドのことば、サンスクリット語の「パーラミター(波羅蜜:はらみつ)」の訳語です。彼岸は彼の岸(向こう側)である悟りの世界を意味し、「此岸(しがん)」は此方の岸である迷いの世界を意味します。ですから到彼岸とは、此岸から彼岸川を渡って向こう岸に到ることを象徴した言葉です。

この時、此岸から彼岸へと川を渡る舟にたとえられるものが「六波羅蜜行(ろっぱらみつぎょう)」で、「布施(ふせ)=施しをすること」「持戒(じかい)=十善戒を守ること」「忍辱(にんにく)=耐え忍ぶこと」「精進(しょうじん)=向上心をもって生活すること」「禅定(ぜんじょう)=自分の心を見つめること」「智慧(ちえ)=ものごとを正しく判断する力を磨くこと」を実践することをいいます。これは自分自身だけでなく、多くの人と共に悟りを求め、充実した生活を送ることを願ったものです。ですから、本来は日常生活の中にこそ、彼岸を求める行為がなくてはなりません。しかし、日々の生活に追われていると、大事なことと思いつつも、ついおろそかになりがちです。だからこそ、せめてお彼岸のあいだは、腰を据え、しっかりと考える時間を持ち、心安らかに、自分の生活のあり方を考えたいものです。
※刊行物ご案内にて、仏事がわかるリーフレット「お彼岸とお墓参り」を掲載しております。ご参考ください。

六波羅蜜行
御影供(みえく)とは何ですか?

真言宗を開かれた弘法大師は、承和2年(835年)3月21日にご入定(にゅうじょう)されました。このことに基づいて、弘法大師のご縁日(えんにち)は「毎月の21日」となっています。

ご縁日には、弘法大師の恩恵への感謝を捧げるために、「御影(みえい)=(お大師さまのおすがたを描いた図像)」をかざり、その御影を生身のお大師さまに見立てて法要を行います。この法要のことを御影供(みえく)といいます。

3月21日の入定の日に行う法要を、「正御影供(しょうみえく)」、3月以外の毎月21日に行う法要を「月並御影供(つきなみみえく)」といいます。

仏生会(ぶっしょうえ 4月8日)とは何ですか?

仏生会とは、お釈迦さまのお誕生を祝う行事のことで、「花まつり」「灌仏会(かんぶつえ)」ともいわれています。

お釈迦さまは今からおよそ2500年前、美しい花が咲き香る4月8日に、ルンビニーという花園で、カピラ城主(現在のネパールにあった)「浄飯王(じょうぼんのう)」とその妃「摩耶夫人(まやぶにん)」の王子としてお生まれになりました。その時、天からは甘露(かんろ)の雨が降り、生まれたばかりの王子は立ち上がると七歩あゆまれ、「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん=あらゆる国土、あらゆる生きものを観察したうえで、戒律を守ること、自分の心を見つめること、ものごとを正しく判断すること、善い行いをすることにおいて、自分と同じ境地にいるものはいない)」と、自身が仏陀となるために生まれてきたことを宣言されたと伝えられます。 この時の甘露の雨は天の神々が王子の誕生を祝福したもの、七歩のあゆみは六道(ろくどう、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天)の輪廻(りんね)を離れたことを意味します。

仏生会では、花御堂(はなみどう)を飾り、右手で天を、左手で地を指している誕生仏に甘茶(あまちゃ)をそそぎお祝いしますが、これらはお釈迦さまのご誕生の様子を再現するもので、花御堂はルンビニーの花園を、誕生仏は生まれてすぐあゆまれたお姿を、甘茶は甘露(かんろ)の雨を表しています。

花御堂
青葉(あおば)まつりとは何ですか?

青葉まつりは、弘法大師・空海(くうかい)と興教大師・覚鑁(かくばん)のご誕生を祝う行事です。

弘法大師は宝亀5年〈774〉 6月15日、讃岐国多度郡屏風浦(現在の香川県善通寺市)にお生まれになり、中国に渡り日本に密教を伝えた、真言宗の宗祖(しゅうそ)です。
興教大師は嘉保2年〈1095〉 6月17日、備前国藤津庄(現在の佐賀県鹿島市)にお生まれになり、弘法大師の教えを復興したことから、真言宗の中興(ちゅうこう)の祖と仰がれています。

青葉まつりは、この両祖大師の功績を讃え、ご誕生をお祝いする法要なので、正式には「両祖大師御生誕慶祝法要」といわれていますが、樹木の緑の美しい季節なので「青葉まつり」と称しています。

総本山智積院の青葉まつり
お施餓鬼(せがき)とは何ですか?

お施餓鬼の由来は、『仏説救抜焔口餓鬼陀羅尼経(ぶっせつぐばつえんくがきだらにきょう)』に説かれる物語です。この物語の主人公は、お釈迦さまの身の回りの世話をし、お釈迦さまのそばで一番多くの教えを聞いたので「多聞(たもん)第一」といわれる、「十大弟子」の一人、阿難(あなん)尊者です。

ある日、阿難尊者が一人修行していると焔口(えんく)という餓鬼が現れ、「阿難よ、お前の寿命はあと三日で尽きる。死んだ後は餓鬼道に堕ち、私と同じような醜く恐ろしい姿の餓鬼になるだろう」と告げました。びっくりした阿難は餓鬼に、「どうしたらその苦をのがれることができますか」と尋ねます。すると餓鬼は答えました。「明日の朝、無数の餓鬼とバラモン(司祭者)に、多くの飯食(おんじき)を布施しろ。そうすれば、その功徳によってお前の寿命は延び、私も餓鬼の苦を離れ、天上に生まれることができるだろう」。しかし、そんなに多くの飯食を一晩で用意することはできません。困った阿難はお釈迦さまに助けを求めました。するとお釈迦さまは、施餓鬼の陀羅尼(だらに)を示し、「心配しなくてよい。この陀羅尼を唱えながら食物を布施すれば、無数の餓鬼、そしてバラモンに心のこもった施しをすることになるだろう」と教えました。そして阿難は、この教えのとおり餓鬼に布施をして、無事に死をのがれ、餓鬼は苦しみから救われたのでした。

ここに出てくる餓鬼とは、地獄・餓鬼・畜生という「三悪趣(さんあくしゅ)」の一つで、飢えと渇きに苦しむものをいいます。
餓鬼は、水を飲もうとしても水が血の膿となって飲むことができず、喉が針のように細いので食べ物を飲み込めない、そして口から火を吐いているので食べ物が燃えて口に入れることすらできないのです。

限りない物欲(ぶつよく)を象徴しているのが餓鬼です。そして阿難尊者が見たものは、自分の心の中にある物欲にほかなりません。物欲に支配されていると、自分本位に走り、人を差別したり、傷つけたりします。そこでお釈迦さまは、物欲に支配された醜い心を洗い、清らかにしていく手だてとして、布施の修行を示したのです。

このように、私たちが生きていく上で避けて通れない「食欲」をたとえにして、「もの惜しみをせず」人間らしく生きていく道を教えてくれるのが、お施餓鬼の法要なのです。
※刊行物ご案内にて、仏事がわかるリーフレット「お施餓鬼って何?」を掲載しております。ご参考ください。

お護摩(ごま)とはなんですか?

お護摩とは、「護摩供(ごまく)」のことで、古代インドの「ホーマ」ということばの音を漢字で表したことばで、「清らかな火を焚き、その火中に供物を投じてご本尊さまに供養する」という意味です。もとはインド古来のバラモン教の儀礼だったものが、仏教、特に密教に取り入れられて体系化され、やがて弘法大師によって日本に伝えられました。

護摩供は、古代インドの伝統を踏まえて、除災招福の秘法として修行されています。護摩供法要では、護摩壇(ごまだん)での導師の修法によって勢いよく炎が上がりますが、燃え上がる炎は「仏さまの悟りの智慧」そのものであり、私たちの煩悩を象徴する護摩木を燃やすことで、智慧によって不幸の原因である煩悩が焼き滅され、生きる力を授かるという意味があるのです。

またこの時、様々な願いが書かれた護摩札(ごまふだ)を仏さまの智慧の炎にかざして加持(かじ)することで、護摩札がご本尊さまそのものとなり、願いごとを成就する力あるものとなります。授かった護摩札は、ご自宅の仏壇や神棚など清浄なところにおまつりし、毎朝、ご本尊さまの真言をお唱えします。授かってから1年以上を経て古くなった護摩札は、授かったお寺や菩提寺に納めて、お焚き上げ(おたきあげ)をしていただきます。
※刊行物ご案内にて、仏事がわかるリーフレット「お護摩のご利益」を掲載しております。ご参考ください。

成道会(じょうどうえ 12月8日)とは何ですか?

「成道」とは、お釈迦さまが悟りを開かれたことを意味し、そのことをお祝いし、感謝を捧げる法要を「成道会」といいます。

お釈迦さまは、私たちにおとずれる(生・老・病・死)をみつめ、人間の普遍的な苦しみを克服(解脱、げだつ)するために29歳で出家します。その後、6年間におよぶ苦行(くぎょう)を続けますが、苦行ではその答えを見つけることができませんでした。極端な苦行は身体を痛めつけるだけと苦行を捨て、尼連禅河(にれんぜんが)のほとりにある菩提樹(ぼだいじゅ)の下で静かに禅定(ぜんじょう)に入られます。この時、お釈迦さまの前に悪魔が現れ、さまざまな誘惑をしますが、お釈迦さまは悪魔の正体が欲望・嫌悪・ねたみ・こだわり・疑い・怒り・恐れなどの煩悩であることを見破り、悪魔の誘惑を降伏(ごうぶく)します。そしてついに――それは今から約2500年前、お釈迦さま35歳の年の12月8日、明けの明星が輝くころ、絶対の平安である悟りを得られたのでした。これを成道といいます。

この成道によって、仏さまの教えも説かれ、多くの人々が救われることになります。つまり、12月8日は教えの誕生日であり、ですから成道会を行い、お釈迦さまへの深い感謝を捧げるのです。