玄宥僧正忌
玄宥僧正は享禄2年(1529)下野皆川(現、栃木県栃木市)に
おいてお生まれになりました。
7歳の時に出家し、その後、根来寺(紀州 和歌山)で研鑽に努め、
天正5年(1577)根来寺の塔頭のひとつであった智積院の住職となりました。
天正13年(1585)豊臣秀吉の根来攻めにより根来山は灰燼に帰しますが、
玄宥僧正は学侶と共に高野山に逃れ、その後、徳川家康の庇護を受けて
京都に智積院を再興されました。
玄宥僧正は、智積院化主第一世となられ、ここから今日の智積院の歴史が始まります。
玄宥僧正忌は、玄宥僧正のご命日である10月4日に、
そのご偉功とご遺徳を偲んで、金堂にて勤める法要です。