智山伝法院公開シンポジウム「自然と人間~震災を契機とした仏教的自然観~」開催報告
去る2月25日(月)午後2時より、智山伝法院公開シンポジウム「自然と人間~震災を契機とした仏教的自然観~」を開催した。
私たちは東日本大震災において自然の驚異を目の当たりにしたが、それと同時に大いなる自然の恵みを受けながら生活している。この震災を通して、私たち仏教者は、自然と人間との関わりをいかに捉えるべきなのだろうか。これを議論するため、東北学を専門とする学習院大学教授・赤坂憲雄先生、神道の立場から多角的な活動を行っている京都大学こころの未来研究センター教授・鎌田東二先生をパネリストに招き、廣澤隆之院長とともに講演とディスカッションを行った。
当日は宗外の方も多くお越しになり、参加者は77名であった。以下、その要旨を記す。
〈第一部 講演〉
最初に宮坂宥洪副院長(現院長)が開会挨拶をおこない、続いて田村宗英研究員が開催趣旨を述べて第一部を開始した。
まず赤坂憲雄先生から「震災と宗教」と題し、震災以降東北をめぐって体験したことを中心に講演をいただいた。
震災の年の5月、南三陸町水戸辺に伝わる鹿踊(ししおどり)が復活したのを見た。鹿踊とは、人間が搾取する動植物への供養と鎮魂を踊りの形に託した伝統芸能である。海辺で漁師をしながらも山で狩りをする東北の人々には、自然と動植物の連関のなかに人間たちもいることをよく知っているという。そして、震災後こうした伝統芸能が、地域再建の中心的活動になっていると指摘し、自身の今後の研究テーマになると述べた。
次に、自然の力についてコメントし、震災の年の春には津波で流された家々の土台ばかりだった場所が、夏には雑草に覆われていたと述べ、自然の力は建物や記憶を一気に消し去ったが同時にそれを荒野へと戻したのだと述べた。
最後に、新しい鎮魂の光景について語った。福島の浜辺では、親族が集まって海で祈りを捧げたり、多くの犠牲者が出た学校や自動車教習所に祭壇がつくられた。こうしたところで死者を悼む、供養する、鎮魂するといった新しい文化が生まれている。神社やお寺でも、ばらばらになった墓石や、首が落ちた地蔵を集めてきて、荒涼とした中に墓地を再建していたり、名前の違う墓石を集めて無縁墓のようなものをつくっていた。こうして、日本人は新しいコミュニティーを形成していくのだとまとめた。
次に鎌田東二先生から「日本の風土と神仏習合の過去と未来―東北被災地をめぐりながら考えること」と題して講演をいただいた。
鎌田先生も震災後、福島県から青森県までをめぐった。そこでは赤坂先生と同様、神仏習合の民俗儀礼を多く見かけたという。しかし、伝統的な儀礼では立ち行かないという思いもある。原発事故後、水が放射能に汚染されている状況のなか、水の浄化力を表す「大祓の祝詞」は適さない。新しい祈りと儀礼のかたちを追求すべきだと述べる。
次に、日本列島と神社の場所に言及し、陸奥の国には延喜式内社が百社もあると指摘。面積が小さい伊豆の国にも92社があることを考えると、自然災害の多い地域にこそ神社が多いことが分かるという。これは熊野も同様である。震災の年の9月に未曽有の大水害が起こり、熊野川が氾濫して那智大社も大きな被害を受けた。日本人は古より水や地や火山といった荒ぶる神のちはやぶる姿を祀ってきたのである。
また、日本における神仏習合の文化に触れた。神と仏には「神は在るモノ/仏は成る者 神は来るモノ/仏は往く者 神は立つモノ/仏は座る者」という相違がある。これまで日本はこの両者が支え合うという構造をつくってきたが、今後はその構造を公益性をもつものとして活用することが課題であるとまとめた。
最後に廣澤隆之院長より「無常再考―空海にとっての自然」と題して講演をいただいた。
まず「自然」という言葉について言及し、日本には、インドやギリシャにおける「自然」と同じ抽象的哲学的観念は無く、弘法大師空海が自然を語るときには、個別的で具体的な事物を指すと述べた。
次に「自然災害」について、人間が関わらないときに「災害」は無いと指摘。寺田寅彦の説を挙げて、人間が文明社会を築いていけばどんどん被害が大きくなる、快適さを追求すれば自分たちを危険にさらすというアンビバレントさがあると示した。
そして「無常」についてコメント。インド仏教における「無常」は瞑想をして心と身体を見つめて獲得することであり、環境的な自然を意味しない。しかし弘法大師空海は『性霊集』にもあるように「無常」を自然の景観にたとえて理解する。中世文学のなかに日本的な無常観を求める場合が多いが、すでに空海において無常と自然現象とを結びつけていた。それもただ美しい自然ではなく、残酷で危険な現象を含んでいる。日本的な「無常」とはこうした世界に自分が生きていると実感することだと締めくくった。
〈第二部 ディスカッション〉
ディスカッションでは、那須政玄教授がコーディネーターを務め、3人のパネリストとともに議論をした。
那須教授は最初に赤坂先生の著書『異人論』に言及し、マージナルで偏狭な存在である「異人」を今回の震災でどのように考えればよいかと尋ねた。赤坂先生はいま被災地で幽霊や死者に遇ったという話をよく聞くが、幽霊に会いたいといってそういう場所に自ら行く人もいるという。死者を恐れるだけでなく、死者を浄化し死者と和解をする、日本人にとってこれこそがコミュニティーの形成につながると示す。
次に「自然」の概念が議論された。廣澤院長がインド仏教における「自然」は、目に見える外界という意味ではなく「svaya?bh?=自ずから成る」ことだと言うと、鎌田先生はそれこそ「ムスヒ」「ムスビ」、生成していく宇宙的な力であり、そこから産まれたものが山川草木であると加えた。
続いて会場から質問を受けた。震災以降の新しい祈り・儀礼に関して質問があり、鎌田先生は自身で今日かかわっている活動を挙げて、福島の高校教員である和合亮一氏と、作曲家の新実徳英氏とともに作った「つぶてソング」を紹介した。
また会場から「自然」と「天」との関係について質問を受けた。赤坂先生は震災以降、「災害」を「天災」と「人災」に分け、「天災」を人知を超えた制御できないものと見なす傾向にあるという。人間がいなければ災害にはならないのに、「天」と言えば人間が責任を取らずに済む。こうした使用を改めて考え直す必要があると示した。廣澤院長は加えて、都合の良いときだけ「仏さまのおかげ」だといって不都合な災害のときには「仏さまのメッセージ」だと見なさないと指摘。「天」なる仏がどのように自己表現しているかという側面から自然災害の問題も捉えるべきだと述べた。
大きな拍手とともに閉会し、アンケートでは概ね好評をいただいた。
日本において自然と人間とは対峙しておらず、驚異的な自然現象、動植物、死者のなかにまさしく人間が生きていることを改めて実感した。このことは長いあいだ伝統芸能のなかに表現されてきて、今後のコミュニティー再興の原動力になっていくという議論も印象的であった。ただ「仏教的自然観」について十分に議論されたとは言いにくい。日本人の自然観は仏教の枠を超えて重層的に捉えるべきであるが、それと同時に「仏教的自然観」についても、引き続き注視しなければならないと考える。