智山伝法院特別講習会 開催報告
常勤研究員 安井光洋
現在、智山伝法院では「教学を再考する」というテーマのもと総合研究会を開催しており、特に今年度は伝統的な修学の場である「講伝」の意味や現状について考察、研究することに取り組んできた。今回はその一環として、三月十七日に特別講習会「教学再考」を開催し、高野山大学学長の藤田光寛師より「高野山における学道の現在」として高野山の年中行事や修学についてご講義いただいた。
以下に講義の主な内容を紹介する。まず、高野山では山内の塔頭(たっちゅう)寺院の住職などが出仕して、恒例の法会などの行事が毎年約四十以上行われている。その中でも高野山の特徴が表れている行事として、竪精論義(りっせろんぎ)、勧学会(かんがくえ)、内談義(うちだんぎ)、御最勝講(みさいしょうこう)を師は挙げられた。これらの行事はいずれも旧暦で行われ、またどの行事の中にも論義が含まれているという特徴を持つ。高野山では「論義問講がわが学道の枢軸をなす」と伝えられており、仏道を理解しそれを体得するために、経典を講じ、経典の義趣を論義することが学道の中心とされている。
そのような勧学の伝統の中でも、応永(一三九四-一四二九)の頃に法性院の宥快法印と無量寿院の長覚尊者という二人が現れたことによって高野山の教学は発展した。これを応永の大成という。また、前者の教学は宝門、後者は寿門と称され、競合して問答をすることで互いに研鑽し合ってきた。そして、その教学の伝統は現在でも受け継がれている。
さらに、師は高野山における年中行事の特徴として明神への礼拝についても述べられた。高野山ではその土地柄、明神への信仰が篤く、法楽の際には「南無大師遍照金剛」に続いて「南無大明神」と唱えられるとのことである。しかし、それは単に民間信仰を踏襲したものではなく、真言密教の立場から意義づけられたものであると師は語る。そして、このような高野山の伝統は、日本人の精神の中に神仏習合が根付いていることを示していると述べられた。
以上のように、今回ご講義いただいた高野山の年中行事はいずれも学道や土地の信仰と密接に結びついたものであり、それはとりもなおさず教学が実践的側面と不可分なものであることを表している。とりわけ、論義について師は「国や宗派を問わず、仏教徒に共通の求道心から論義が行われるのではないか」と語られていた。この言葉から学道を重んじる高野山の崇高な理念を窺い知ることができた。