教化センター

愛宕薬師フォーラム報告

第32回 愛宕薬師フォーラム平成30年6月22日 別院真福寺

魅惑の仏像(ほとけ)たち

講師:東京藝術大学大学院教授  薮内佐斗司 先生

〈はじめに〉
籔内佐斗司です。ご紹介いただいた略歴からも分かりますが、私はお坊さんではありません。また、仏教学者でもありません。私自身は彫刻家であり、東京藝術大学において仏像の研究をし、修復の方法を教えている立場の人間です。したがいまして、今日お話しすることはあくまで籔内佐斗司流の仏教解釈であるとご理解ください。
さて、仏像のお話をするときに「仏教というのはお釈迦さまの宗教なのに、お釈迦さまがまつられていない寺院がたくさんあるのはなぜですか?」と質問をいただくことがあります。それはなぜかというと、答え自体は簡単で、日本が大乗仏教だからです。今日はそんな話をしていきます。

〈せんとくん〉
私は彫刻家として40年ほど作品を作っています。また、東京藝術大学大学院美術研究科文化財保存学保存修復彫刻研究室で仏像の研究と修復技法を教えています。しかし、こういう話をしても平城遷都(せんと)千三百年祭の公式キャラクター「せんとくん」の作者というと、他の肩書きが全てすっ飛んでしまうという悲しい思いもしています。
彫刻家としては「童子」をテーマにたくさん像を彫っています。ここでいう「童子」とは、人間の子供を表現しているのではなく、エネルギーの源・象徴を表しています。電気的なエネルギーのことであり、これが私にも皆さんの中にもあり、全ての事象や現象の裏にはエネルギー、「童子」があるからこの世が動いているんだということをテーマにしています。そのエネルギーの象徴である「せんとくん」のコンセプトは「仏法の童子」です。人々の求めに応じて観音さまのように変身します。
まず、平城遷都1300年祭が終わると、せんとくんは奈良県職員に採用され、姿が変わりました。その後も、ラグビーワールドカップのキャンプ地として奈良県が名乗りをあげたときには「ラグビーせんとくん」。また、奈良県は相撲の発祥地といわれているので「お相撲せんとくん」。そして昨年、国民文化祭があり、PRキャラクターとして「はかませんとくん」を作りました。このように変化しました。
先ほど、せんとくんは仏法の童子といいましたが、菩薩の姿が基になっています。同時に明王と同じ装飾具を身につけています(※白毫(びゃくごう)、耳などは菩薩。身につけているものは明王という意味)。特徴を見ていきますと、眉間には白毫(びゃくごう)があり、一本の白い毛でくるくるっとなっています。耳は耳朶(じだ)環状(かんじょう)といい、耳たぶが輪っかのようになっています。腕や足には釧(せん)という装身具を嵌め、それぞれ腕釧(わんせん)、臀釧(ひせん)、足釧(そくせん)といいます。赤いたすき状の布は条帛(じょうはく)といい、一枚の帯のような長い布です。腰には裙(くん)という、巻きスカートのようなものをつけています。このようなせんとくんの姿は、菩薩の姿であり、クシャトリア時代のお釈迦さまを表しています。

〈古代インドの思想と大乗仏教〉
冒頭、日本は大乗仏教だと申しました。お釈迦さまが亡くなった後、仏教はさまざまな変遷を経て大乗(マハーヤーナ)仏教と上座部(テーラワーダ)仏教の二つの流れができます。大乗とは、異なった文化や宗教が仲良く乗り込む大きな船のことです。それに対して上座部とは、教団の幹部という意味で、当時のものを大事にしようとしたものです。
ここで、古代インドの死生観についてみていきます。古代インドでは、人が亡くなると六道である「天・人・修羅・畜生・餓鬼・地獄」に生まれ変わり、輪廻転生していくと考えられてきました。ところがお釈迦さまは、輪廻転生することは無意味であり、この世で幸せに生きる方法を見つけなさいということをいわれました。それが仏法です。輪廻転生をも包み込むような本当の教えを説いたのがお釈迦さまであり、この法則を偶像化したときに大乗仏教では如来というものになりました。そして我々に直接働きかけるものが菩薩あるいは明王です。
次に古代インドの宗教であるバラモン教とはどういったものかといいますと、ブラフマン(宇宙の根本原理)の宗教です。バラモン教では、現世で不幸せなのは、前世の霊魂がバラモン教の神さまをおろそかにしたためであり、来世で幸せになるためには、現世でブラフマンを崇め、バラモンを尊敬しなさいと説きます。現世で不幸せに生まれてしまった人にとってはどうしようもない宗教ですね。それに対しておかしいといったのがお釈迦さまです。そうすると現世で下々の人々にとって仏教はありがたいなとなり、仏教がバラモン教を圧倒しはじめます。そうすると、バラモン教が危機意識から宗教改革を行い、ヒンドゥー教になっていきます。ヒンドゥー教はブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァと三つの神さまが現れ信仰の対象となります。この思想が大乗仏教に引き継がれていきます。
すなわち、ヒンドゥー教は仏教に影響を受けて誕生しましたが、今度はヒンドゥー教がお釈迦さまをヴィシュヌ神の化身として取り込みます。そうすると仏教に帰依していた人がヒンドゥー教に取り込まれていきます。再びヒンドゥー教が盛り返すときに、今度は仏教が大乗仏教として発展していきます。ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァが過去世、現世、来世に配当されますが、この構造を大乗仏教に当てはめると、過去世(薬師如来)、現世(釈迦如来)、来世(阿弥陀如来)と解釈することができます。そしてヒンドゥー教の神秘的な部分に影響を受けて密教というものが誕生していくのです。
これは、非常に大雑把な説ですので細かいところを見れば矛盾はありますが、バラモン教からヒンドゥー教、大乗仏教、さらには密教が生まれる流れをご理解いただけると思います。

〈GODとダルマの違い〉
「GOD」と「ダルマ」の違いについて整理していきます。
「GOD」とは一神教の神さまのことであり、全てを創りだす創造神です。人格神であり「自らの姿になぞられてアダムを創った(旧約聖書)」とあります。神さまは意思を持ち、また、究極の善と正義を持ち、絶対悪と対峙します。絶対悪とはGODを信仰しないことです。さらに十戒、コーラン等の預言を与えます。恩寵や罰を人に与えるといったことがあります。
それに対し「ダルマ」とは、この世の事象現象の背後にある根本法則であり、意思や姿・形をもたないルールのようなものです。全ての事象は、原因があって縁に基づいて果を生じる。神さまは全てを知っているのに対してダルマは意思がなく、善悪、正邪は人の価値観で、ダルマの価値観ではありません。上座部仏教では、人に恩寵や罰など何ら働きかけをしません。大乗仏教においては、菩薩や明王を媒介として、衆生に働きかけます。
GODとダルマの違いを麻雀に例えますと、麻雀の牌は見えませんがルールにしたがって打ち、取ってくる牌、縁によって形が変わります。神さまの場合、上から見ていて全ては神さまによって選ばされているということですね。

〈仏像について〉
今回のテーマである仏像について如来、菩薩、天、修羅を一つずつ見ていきましょう。
まずは如来です。仏教の究極のところは「法」であり、本当は人間のような姿をしていないのですが、大乗仏教になると分かりやすい姿をとるようになります。始まりはヘレニズム文明と仏教の出会いであり、そこから人格化した如来が生まれてきます。衲(のう)衣(え)を着ており、衣の赤色はインドの赤土の色が染みこんでいることを象徴しています。出家者たちがボロきれをつなぎ合わせて身に纏(まと)っていたことが由来であり、如来はそのような姿をしています。
 次に菩薩ですが、二種類あります。一つはお釈迦さまの王族時代の姿を模(かたど)っているもの、例えば六観音。もう一つはお地蔵さまであり、お坊さんの姿を取っています。お地蔵さまだけはなぜお坊さんの姿なのでしょうか?一説にはお釈迦さまが亡き後、次の仏さまが現れる五十六億七千万年後の間、この世を支えるのがお地蔵さまです。長い間ですから簡素な姿をしています。
さて、六道では、それぞれの世界で観音さまが守ってくださいます。天道で救ってくださるのが如意輪観音です。以下、人間道では准胝観音、あるいは不空羂索観音。修羅道では十一面観音。畜生道は馬頭観音。餓鬼道は千手観音。地獄道は聖観音です。これが六観音の信仰です。
 話はもとに戻りますが、天道は梵天や帝釈天などの他、四天王がいます。四天王の像は邪鬼を踏みつけています。
修羅道は、有名なところでは興福寺の八部衆、阿修羅など、また十二神将が修羅に属しています。十二神将は四天王と同じような格好をしていますが、邪鬼を踏みつけずに岩の上に立っています。なぜなら邪鬼は十二神将の家来であるからです。
仏教では護法善神というものがあります。一神教の神々は悪魔などを殺しますが、仏教は悪い神さまであっても仏法と出会うことで調伏して仏教の味方にするのです。将棋を指して駒を取ると自分の味方になるのと同じようなことです。
畜生道は、仏法と出会うことで仏の乗り物として役目を果たします。普賢菩薩は象に、文殊菩薩は獅子に乗っており、畜生も仏さまに会うことで、役に立つことができます。
餓鬼道は、仏法に出会うことで四天王の下で働き、支えています。また、邪鬼のなかに天灯鬼、竜灯鬼といった灯明を支えるものもあります。
地獄道は、いろいろな地獄がありますが聖観音さまが助けてくださいます。キリスト教の地獄は絶対に抜けられませんが、仏教の地獄はバーチャルリアリティのようなもので、反省させているのです。閻魔さまは、実はお地蔵さまの化身といわれています。仏法とはありがたいもので、どんな境涯にいても救ってくださるのです。

〈日本人の信仰と仏像の変遷について〉
仏像には時代のなかで変遷があります。仏像とは本来、芸術作品ではありません。あくまで施主がおられます。その施主の信仰、思いというものを具体化するのが仏師の役割です。ですから時代に応じて仏像が変化しています。
例えば立像の場合、平安時代ではまっすぐ立っているものが多いですが、鎌倉時代になると、より衆生を救わんと私たちに向かって歩き出してくるような仏像が増えてきます。また、平安時代は座像が多いですが、鎌倉時代では立像が多くなりました。このように、その時代時代で人々が望む姿の仏像が現れています。
さて、「仏像ブーム」というものが10年ぐらい前に起きました。それまでは寺院でも仏像をお寺の外に出すことは嫌っていましたが、今は仏像展を行いますとたくさんの人々が来ます。そのことが寺院にとってプラス面もあるかも知れませんが、私は「仏像ブーム」が「本当の仏教」のためになるかは疑問に思っています。
例えば、西洋のミロのヴィーナスの場合、それに手を合わせる人はいませんね。それはギリシャの神々への信仰と、その後出てきたキリスト教では、信仰の断絶があるためです。ですからミロのヴィーナスは神像でありながら彫刻作品になっています。
しかし、日本人にとって仏像とは、日本に伝えられてからずっと拝むものであり信仰の対象であり続けました。このことは世界的にみて大変珍しいことです。ですから、我々日本人のご先祖さまがずっと手を合わせてきた仏像というものを考えたとき、それを疎かにすべきではないですし、ましてや彫刻作品に貶めるべきではないと思います。

〈作り手側として〉
私はプロの彫刻家ですので作品が売れなければ話になりません。そのためにも人さまを満足させられるような彫刻を作りたいと思っています。
しかし、もう一つ思うことは、自分が作れるのは彫刻作品として7~8割までだろうということです。残りの2~3割は、お求めになられた方がいのちを吹き込むものだと思っています。ですから大事にしていただけるような作品を心がけています。
最後に、現在東京藝術大学の私の研究室では、福島県磐梯町における国指定史跡慧日寺跡金堂にまつる薬師如来坐像を作っています(※平成30年7月に完成一般公開済)。国指定の史跡にまつる仏さまを自治体が復元するのは初めての試みです。ここには若い人たちも関わっています。学生たちは研究室に入るとき、仏教にも仏像にもほとんど興味がありません。しかし、仏像の作り方を学ぶなかで、仏像が何を表しているのかを知り、仏の教えに気づくのです。これは、お坊さんが仏教の世界に入ってから修行によって信仰が高まるように、私たちモノを作る人間は、仏像を作ることで仏教に出会うという体験をします。作り手側として、今の若い人たちの研究成果をさまざまな機会でご覧いただき、若き作り手が仏像をどのように捉えようとしているのか、感じていただければと思います。
 

(構成/智山教化センター)