教化センター

愛宕薬師フォーラム報告

第9回 愛宕薬師フォーラム平成24年9月26日 別院真福寺

日本人の幸福度 ―足るを知るとはどういうことか?―

講師:法政大学大学院 政策創造研究科教授  坂本 光司 先生

幸せの追求 

皆さん、企業の目的は何だと思いますか。それは関わりのあるすべての人の幸せを求めることなのです。株主や企業の利益だけではないのです。私がお伝えしたいこと、それは「社員を大事にする会社が一番よく伸びる」ということなのです。誰もが幸せを実感できない組織・会社は伸びない、永続できないのです。つまり、正しくない会社は滅びるということです。
本日は中小企業の研究、特にフィールドワークから見えてきた「幸せとは何か」について、心に訴える話をしたいと思います。

日本人はこれでいいのか 

まず私が目にして呆れたり憤ったりしたことをいくつかお話します。
席を譲らない人の話です。日常よく見かけるのではないでしょうか。私が海外出張から帰ってきた時のこと、疲労困憊(こんぱい)だったので実家へ帰る電車でシートに座れたのは本当に助かりました。
しかし、出発のころ満席になり、ふとドアのそばを見ると80歳をはるかに超えたおばあさんが立っているではないですか。そこには優先座席があったのですが、若者、中年…その席に適さない人が座っていました。もちろん、私が譲りましたよ。
65歳の私が席を譲るというこの光景は何なのでしょうか。日本はいつからこんな国になってしまったのか。今日まで日本をここまで豊かにしてくれたのは、このお年寄りの世代です。我々ではない。恩返しをするのが当然なのです。こんな国が世界から評価されるはずないのです。この国は経済が停滞しているのではなくて「心」が停滞しているのです。
次は銀行の話です。銀行は午後3時で窓口は閉まります。その後は中で残務処理をしています。 これはお年寄りや視覚障害者に大変困ることなのです。彼らは毎日毎日体調の変化が激しいから来られる時間もまちまちなのです。
行員はATMを使ってください、といいますが、それが間違いということに気付いていない。彼らがATMをまともに使いこなせると思っているのでしょうか。健常者に怒鳴られることもあるかもしれない。
窓口は閉めても、せめて一人くらい温かい人間を配置することはできないのでしょうか。効率のため?業績のため?それが間違いなのです。総ての営みは業績のためではない。人々の幸福を願うものであるべきなのです。真の強者、正しい者は、弱者に優しいのです。利他の心を持っているのです。
リーマンショック以降、良い意味で日本人は変わってきたように思います。すがも地蔵通りの「すがも信用金庫」のATMには当番がいるのです。しかも、窓口閉鎖後の午後七時まで。費用対効果は赤字かもしれません。しかし、人が幸せになる。それこそが企業の目的であり、長い目で見れば利益を生むのです。 
リストラの話もしましょう。会社が不況で苦しんでいるのは経営者の問題であって、社員に責任はないのです。すべて経営者が決めたことを社員が実行しているだけだからです。
しかし、「不況」という刃物を突き付けられるのは社員です。社員のクビを切るのなら、まず自分が腹を切れ、と経営者には言いたい。5人家族で三杯のご飯しかなければ子どもにあげるものです。三等分なんかしません。子どもの死を最初に見たくないから。
会社も家族も一緒なのです。人員を2割リストラするのなら全社員の給与を二割カットすればいい。もちろん社長は無給です。
私が訪れた熊本県八代市のとある会社は、リーマンショックの影響で経営が行き詰ったとき、社長自ら年棒を1ドルにしました。社員の給与は全然下げなかったそうです。社員はそのような経営者にはどこまでも付いて行く気になるでしょう。
ここ数カ月で、NEC、パナソニック、キヤノン……いくつもの労組から呼ばれて講演にいきました。私ははっきりと次のようにいいました。「どうして仲間を守らなかったのですか。給与を下げても仲間を守るべきだったのではないですか」
何が正しくて、何が悪いのかわからなくなっている経営者や労組が多い。日本人の生き方として問題がある人間が多すぎるのです。
現場の叫びに真摯に耳を傾けることが重要なのです。鍋に水と蛙を入れて火にかけると、生きた蛙は熱さに気付かないままに煮えてしまいます。徐々に上がる水温に慣れてしまって最終的には茹で上がってしまうのです。
多くの日本人は、この「茹で蛙現象」に陥ってます。異常が長く続くと異常があたかも正常に見えてしまうのです。「正しく見る」には五感を常に研ぎ澄ましていなければだめです。私が人や企業を見るときの物差しはひとつだけ。「正しいか正しくないか」これだけです。

弱き人々・誠実に生きようとしている人々からのメール 

服部さんという方からメールをいただきました。彼は大学在学中の就職活動で20社受験して全部落ちました。何故か。それは彼が障害者だからです。生まれつき内臓がすべて逆に配置されており、心室はひとつしかないそうです。この障害をもっている人は45歳くらいで寝たきりになる人が多いらしいです。彼は今、40歳。
そんな彼から私のところにメールが来たのです。雇ってくれる会社がないから自分が会社を設立するしかなかった、と。
どういう会社だと思いますか。障害者を雇う会社を作ったのです。これは本来健常者がやることですよ。申し訳なさすぎる。彼から会社の顧問になってくれと頼まれました。無報酬、非常勤、経営が軌道に乗るまで……を条件に引き受けました。
また、岡田さんという読者からメールをいただいたこともあります。その方とは面識はありません。会社を作ったので一番に私に連絡したかったそうです。
彼は、元は従業員250名の会社の取締役総務部長だったそうです。そこで社員のリストラを命じられた。役員会議で反対して、役員の賃金カットを提案したが、針の筵で、結局退社して自分で会社を起こしました。彼はまさに正しい経営者だと思います。彼のような真面目な人間が会社を辞めなくてはならない日本は異常なのです。

行動を起こした日本人 

私が訪問して「真に正しい会社」だと思ったところをいくつか紹介します。
最初は北海道にある「富士メガネ」という会社です。この会社は眼鏡を買えないような海外の貧困の方々に眼鏡をプレゼントしているのです。30年前から現在に至るまで継続して行っています。ただプレゼントするだけではありません。社員が(有休を使って)西アジアのアルメニアまでレンズと検眼機、修理道具を持っていって、その場で作って無償でプレゼントしているのです。
また、この会社は(今ではあまり耳にすることが少なくなりましたが)中国残留孤児にも眼鏡をプレゼントしているのです。既に850人に手渡したそうです。
この会社に届いた中国残留孤児からの感謝レターを読んで、私は涙が止まりませんでした。「祖国から頂いた数々の土産のなかで、眼鏡ほどうれしいものはなかったです。花や木がこんなにも美しいとは知りませんでした」。
もう一つ紹介しましょう。「NPO法人ダイアログ・イン・ザ・ダークジャパン」です。「目に見えない展覧会」を開催する団体です。真っ暗な空間の中に川や橋などの町並みが再現されたところに、参加者は触覚や聴覚を頼りに六十分間歩いてその中を体験します。誘導するのは視覚障害者です。健常者と視覚障害者の立場を逆転させるこの見えない展覧会はヨーロッパではチケットが完売状態だそうです。
ここの社員の一人から次のような話を聞きました。この会社に入って、私の人生が変わりました。今までの人生は健常者にお礼をいう人生でした。お礼ばかりいう人生はあまり嬉しいことはありませんでした。生まれてよかった、生きていてよかった、と思ったことは一日もありませんでした。だけど、今は違います。健常者からお礼をいわれるのです。こんなに嬉しいことはありません。生きていて良かったと実感しています。先生、どうかこの会社が続くように応援してください」

求められる生き方 

世の中には健常者がいて障害者がいます。障害者になりたくて生まれたものは誰もいませんし、また障害者を生みたかった母親も誰もいないのです。障害者が生まれなければ健常者も生まれない、というのは遺伝子的に証明されています。
それならば、私たち健常者ができることは何か。それは「共に生きる」ということしかありません。傍観者という存在はあり得ません。
私たちができない、やれない「正しいこと」をしている人々がいたならば、私たちがやることは、その人々を支援することです。その人に降りかかってくる火の粉を振り払ってあげることです。

(構成/智山教化センター)