教化センター

愛宕薬師フォーラム報告

第8回 愛宕薬師フォーラム平成24年6月21日 別院真福寺

古代日本の仏像 ―祈りとかたち―

講師:東北大学大学院文学研究科教授 長岡 龍作 先生

造る者の願い

日本の仏像の劈頭(へきとう)を飾ります記念碑的な仏像といえば奈良県斑鳩にある法隆寺金堂のご本尊「釈迦三尊像」で、光背に記された銘文から623年に像立されたことがわかります。
そこでこの銘文を手がかりに仏像について考えてみたいと思います。
私はこの銘文を前半と後半、二つに分けて読むのが適切であると考えています。
前半は聖徳太子のために仏像を造るという誓いをたて、後半は、作った後に発願者は亡くなった人に従って到彼岸をめざす、と二つの誓いが書かれていることが特徴です。仏教を考える上で、「誓い」「誓願」はそのめざす行為をしめすという非常に重要な意味を持ちます。
また、法隆寺の釈迦像には、聖徳太子の姿、イメージをかさねようとする意識があると思います。そう考えると、この両脇侍にも聖徳太子の母と妻という女性たちのイメージがあると思うのです。
そうするとこの亡くなった三人はいったいどこへ行ったのだろうかというのが次の問題です。飛鳥時代にはまだ極楽浄土は一般的でありません。彼らは「往登浄土(おうとうじょうど)」と銘文に記しているので、登るという字からも、高いところへ行ったとイメージしていると考えることができます。
実際この仏像は高い須弥壇の上に安置されています。二人の菩薩たちは須弥山の頂上、?利天(とうりてん)におり、そして釈迦如来はもう一段上に座っています。これは下界に降りて如来に成ることを待つ場所である兜率天(とそつてん)にいると考えることができます。
一方、造像者にとって仏像はどんな意味を持っているのでしょう。本当の仏や真理は見えませんが、見えない物を見えるようにするのが仏教美術の働きです。つまり美術には、遠い所にいる者を近くに持ってきて見せる、出会わせるという役割があります。遠い所にいるはずのお釈迦さまが、私たちの見える場所にいるということに意味があり、それと私たちは出会っているというイリュージョン、すなわち一種の幻想を与えてくれます。会いたいけれども会えない、その願いを形にするものが仏像だと考えることができます。
また、この仏像には、もう一つ、亡くなった人々を目の前に連れてきて見せてくれる存在という意味もあったに違いないと思います。

到彼岸への実践

次に同じく法隆寺にある玉虫厨子ですが、これは須弥座に四つの足がついていて、その須弥座のてっぺんに建物があります。現在は観音さまが入っていますが、これは元々あったものではありません。また、この厨子の台座の四つの面には密陀絵(みつだえ)と呼ばれる見事な絵が描かれています。
四面に描かれている絵の一つ捨身飼虎(しゃしんしこ)は、飢えた親子の虎のために身を投げ出す薩?太子のお話で、本生譚(ほんじょうたん)といって、お釈迦さまの前世の物語です。この絵の中では衣を木に掛けている薩?太子、身を投げ出した薩?太子、食べられている薩?太子が描かれています。
この場面で重要なのは、自分の身を虎に差し出すぞと誓いを立て、その決意を示すために脱いだ着物を木に掛ける、誓願の場面です。この弱き物に身を差し出すという、菩薩行をする時の誓願という行為が描かれているのです。
反対側には施身問(せしんもん)【聞】偈(げ)という図が描かれています。これは帝釈天が羅刹(らせつ)【鬼】に変身し「雪山偈」の前半部分「諸行無常、是生滅法」と唱えます。するとそれを聞いた雪山童子(せっせんどうじ)は偈の後半部分を是非聞きたいと、空腹の羅刹に自らの身を与えることを約束し偈の後半「生滅々已、寂滅為楽」を聞く場面です。重要なのは雪山童子が身を差し出す前に様々な場所にその偈を書き連ねるということです。これには他者のためへの行為であり、菩薩行の実践という意味があります。
正面の絵は仏舎利の入った舎利容器を二人の僧侶が両側から供養しているので「舎利供養」と呼ばれています。舎利はお釈迦さまの善行が薫じ込められているといわれているので、菩薩行の六つの実践である「六波羅蜜」を表していると考えられます。
裏側には須弥山図が描かれています。経典によれば須弥山の頂上が?利天で帝釈天の殊勝殿があります。そして中腹には四天王が住んでいるのですが、玉虫厨子に描かれた須弥山にも殊勝殿と四天王宮が描かれており、正しく須弥山の絵であることがわかります。
この絵でまず注目するのは、二人の女性が描かれた須弥山の下の部分です。これは龍宮であるといわれ、その典拠は『海龍王経』に記される「宝錦女(ほうきんにょ)及び万夫人(ばんふじん)、珠瓔珞を以て世尊に奏上し、…」であると考えられます。
この絵の中で二人は中央のお釈迦さまに珠瓔珞を捧げ「今日、吾等一類は平心に皆無上正真道意を発す。吾等来世に如来にして至真等正覚を得。当に経法を説き、将に衆僧を護ること今の如来の如し」という誓いをお釈迦さまに向かって立てるのです。発心した娘に対しお釈迦さまは三百劫を経ずに如来になると約束する、すなわち授記します。
絵の上方には須弥山がそびえ、その脇を仙人たちがジャンプして上へと飛んで行く。まずは?利天、そしてさらには兜率天。このことから発心から浄土へ向かって行く意味がこの図には描かれていると読むことができます。上部にある宮殿部の裏側にはお釈迦さまが『法華経』を説いた霊鷲山図が四人の僧侶と共に描かれています。僧侶たちは何をしているのか?この場面は『法華経』にある「身」「口」「意」「誓願」の四つの安楽行を表し、邪魔をするものがない場所で善い行いをして、最終的に衆生を救済するという誓願を立てている図と考えられます。
また、『法華経』の法師品の中に出てくる如来の全身を表す七宝の塔に対応する塔が、この図には描かれています。ですから、この霊鷲山図は『法華経』のいくつかの内容を組み合わせて描かれていると思います。
そして宮殿の正面には二天が、両側の扉には菩薩が描かれています。この宮殿の内側には押出仏(おしだしぶつ)を貼り付けた千仏が内側に表されています。千仏には『法華経』見宝塔品が説く釈迦の分身の十方諸仏という意味があるといえます。従ってこの厨子の中心にあったのは釈迦如来か、もしくは釈迦と多宝塔の二仏があった可能性が高く、現在のように観音さまがいた可能性はきわめて少ないと思います。
以上のような内容から、この玉虫厨子は、礼拝する者たちを到彼岸、覚りへと導く役割を果たす、非常に優れた構成力を持った仏教美術であるということがいえます。

天平人の祈り

時代は少し下がり奈良時代(天平時代)へと入ります。
昨今仏像ブームといわれていますが、とりわけ人気の高い仏さまが奈良興福寺の阿修羅像です。天平六年(734)光明皇后が、母である橘三千代の供養ために造像したものです。光明皇后は母の一周忌に合わせて興福寺西金堂(さいこんどう)を建立しています。
「山階流記(やましなるき)」という興福寺の資財をまとめた書物の中に「金鼓(こんく)一基」という記述があります。この記述から西金堂は『金光明最勝王経』に基づいて建立されたことが分かります。その中の「夢見金鼓懺悔品(むけんこんくさんげぼん)」に「一の婆羅門ありて、金鼓を桴撃(ふげき)し、大音声を出すをみたり」という一説があり、金鼓がボーンと響けば、人々の心に懺悔の気持ちを生じさせ、苦を離れ解脱を得る、という象徴的な意味が記されています。興福寺にある中国唐時代の華原磬が「金鼓」であり、これは興福寺西金堂にとって一番重要な法具であるといえます。
『金光明最勝王経』を詳しく読むと、懺悔、自分の罪を悔いるということの意味がはっきりと見えてきます。
仏の前で懺悔することを誓い、その上で「我十方界に於て、無数の仏を供養し、当に衆生を抜きて、諸の苦難を離れしめんと願うべし」と、仏の供養と衆生の救済を誓うことが説かれています。ですからお経の思想の核心は、懺悔で終わるのではなく、懺悔から発心へ至ることが功徳を得る道であるという点にあります。
また、興福寺西金堂の古い時代の様子を伝えるものが『興福寺曼荼羅』で、婆羅門が金鼓を叩き、全ての仏•菩薩•天がこの金鼓の音を聞いている様子が描かれています。そしてこの曼荼羅では阿修羅は最後尾に描かれ、西金堂の主人公ではありません。阿修羅像が含まれる一群を八部衆といい、元々は古代インドの神さまたちで、本来は獰猛(どうもう)な性質を持ちます。
かつて阿修羅は帝釈天と大戦争を繰り広げた獰猛な神ですから、懺悔することはたくさんあります。阿修羅の三つの顔を順番に見ていくと、微妙に表情に変化が生じています。向かって左側の顔は唇を噛んで眉を寄せている苦悩の顔。右の顔は少し和らいではいますが、眉にはまだ苦悩の跡が残っています。正面の顔は遠くを見据え、強い意志を秘めたすばらしい顔で、阿修羅の人気の秘密はおそらくこの顔にあるのでしょう。私はこの顔は、懺悔には留まっていない阿修羅の心のレベルを表したものだと考えます。つまり、発心し衆生の救済を誓願した、その瞬間の顔であると思うのです。
最後に「山階流記」に記された仏像と『金光明最勝王経』の序品に出てくる聴衆を比較すると、「羅漢」「菩薩」「天」「龍王」「薬叉」「八部衆」「神仙」「梵天」「帝釈天」「四天王」は西金堂の像と対応していますが、「童子」「諸国の王」「王妃」「仏法を信ずる男女(人間)」は像として存在しておりません。
なぜ「童子」以下の像は製作されなかたのでしょうか。この像を供養した、またはこの場で祈りを捧げたのは光明皇后と周囲の人たちです。つまり彼らはお経の登場人物に自らを擬して、阿修羅とともに、あるいは阿修羅に習って懺悔し発心するということを実際に行っていたのではないかと考えております。

発心と誓願

以上三つの仏教美術を紹介しましたが、重要なキーワードは「発心」と「誓願」です。心をおこすということが仏教の最初の一歩として非常に重要な意味があるのです。今回紹介した仏教美術はいずれも、人々を導く役割を果たしていたと思います。このように古代の仏教美術を解釈することで、古代の人々の心に触れることができる。彼らがその仏教美術とどう向き合ったかをきちんと知ることで、今は亡き日本の精神、人々の心を知ることができる。私はそのように考えて研究を続けております。

(構成/智山教化センター)