教化センター

愛宕薬師フォーラム報告

第7回 愛宕薬師フォーラム平成24年2月2日 別院真福寺

仏さまと出会った人々 ―お釈迦さまの弟子たちは何を学んだのか―

講師:愛知学院大学講師  服部 育郎 先生

釈尊の弟子とは

本日は原始仏典を資料に、仏さまである釈尊と出会った仏弟子たちが、釈尊から「何を学び」、その教えを「いかに実践し」、その結果「いかなる境地に達したのか」について考えてみたいと思います。
原始仏典とは「原始仏教の経典」です。原始仏教とは、インドにおける仏教発展史の最も初期の仏教を指し、釈尊が生きていた時代と、釈尊没後100年位までをいいます。そして、その頃の教えが記されている『スッタニパータ』などの経典を原始仏典とよんでいます。
そこでまず『スッタニパータ』から、釈尊と弟子の関係を見てみたいと思います。これは仏弟子となったピンギヤという修行者が、以前師匠であったバラモンに、自分と釈尊の関係を語った言葉です。
「わたしは、年老いて、力も衰えました。ですから、私は釈尊がおられるところにおもむくことはできません。しかし、いつも想いを馳せておもむくのです。バラモンよ、わたしの心は、かれと結ばれているのです」(『スッタニパータ』)
当時、釈尊と弟子は、面と向かう直接的な結びつき以上の、教えを通じての師弟関係で深く結ばれていたことがみてとれると思います。

仏とは

ところで、仏という言葉を当たり前のように使って話をしましたが、ここで「仏」そして「弟子」の意味を再確認しておきたいと思います。
仏とはインドの原語では「ブッダ」です。ブッダ(buddha)とは、語源的には「知る」という動詞の過去分詞で「目覚めること」「目覚めた人」を表します。漢訳された経典の中では「覚者」と意訳されたり、「仏陀」「仏駄」「浮屠(ふと)」「浮図(ふと)」などと音写されたりします。固有名詞として、また歴史的人物としてのゴータマ・ブッダも意味しますが、普通名詞としては「日覚めた人」を意味し、特定の個人だけではなく目覚めた人は誰でも「ブッダ」と呼ばれます。ですから仏弟子の中にもブッダはいました。『ウダーナ』という経典には「もろもろのブッダたち」という表現があり、初転法輪の対象であった五比丘の一人、コンダンニャは「ブッダに従ってブッダになった人」(『テーラガーター』)と呼ばれます。
仏教教団が発展し、教祖としてのゴータマ・ブッダの指導者としての役割が明碓になると、しだいに釈尊個人の呼び名、仏教を代表する人物(教祖・開祖)としての固有名詞へと変化していったのだろうと思います。

仏の弟子とは ―追体験を目指す―

次に弟子ですが、インドの原語として多く使われているのは「サーヴァカ」ということばで「教えを聞く人」を意味します。これは出家修行者、在家信者関係なく使われていましたが、教団の発展にともない、在家信者は「仕える人」という意味の「優婆塞(うばそく)」と呼ばれるようになりました(女性の場合は「優婆夷(うばい)」)。ここで、仏弟子とは「どのような立場の人」だったのかを経典からみてみましょう。
「弟子たちよ、わたしは、過去にさとりを得た聖者たちがたどった古道、古径を発見した。過去の聖者たち、つまり諸仏がたどった古道、古径とはなんであろうか。それは、かの八正道である。わたしは、この道に随っていくうちに老死の苦を知り、老死の苦が生じる原因を知り、老死の苦の滅を知り、ブッダとなったのだ。これを善男子や善女人たちに教えたので、この八つの実践法はしだいに広まり、多くの人に知られ、つぎつぎと説きつがれるようになったのである」(『相応部経典』)
このように仏弟子とは、師が進んできた道を得ること、追体験する立場にある人を指しました。
また『マハーパリニッバーナ経』にはこのようなことばがあります。
「アーナンダよ、今でも、またわたしの死後にでも、誰でも自らを島とし、自らをたよりとし、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとしないでいる人々がいるならば、かれらはわが修行者として最高の境地にあるであろう」
「自灯明・法灯明」として有名な個所ですが、このように、大切なのは「正しく教えを実践する自分自身」をたよりにしていくということ、教えである真理に裏打ちされた自分自身をたよりにすることです。そういう意味では、現代に生きる私たちもまた、自灯明・法灯明を実践することで、"釈尊の弟子として"最高の境地にあることができるのです。
このように、原始仏典をみると、仏弟子とはブッダが歩んだその道をブッダのアドバイスを得ながら自ら歩む人といえますが、逆の場合もあったようです。
「あなたは私の姿を見たけれども、私の戒を守らなかった。あなたは私を見たというけれども、私はあなたを見てはいない。私から何万里も離れている所にあなたはいる。戒を実践したこの人こそ、いま私の目の前にいるのだ」(『法句讐喩経』)
釈尊と同時代、同空間をすごした弟子でも、ブッダが歩んだ道を自ら歩まない者は仏弟子とはされないのです。

『テーラガーター』という経典

それでは『テーラガーター』から、弟子たちの実践と、到った境地をみていきたいと思いますが、まず『テーラガーター』とはどのような経典なのでしょう。これは男性の出家修行者(比丘)のことばを収録している経典です。師である「ブッダの」ことばではなく「弟子の」ことばが、「女性の」ではなく「男性の」ということが特徴です(女性出家修行者(比丘尼)のことばを収録する経典は『テーリーガーター』)。264名の弟子たちに関する、1279の詩句が収められています。中村元博士は「個々の詩が詠まれた年代は、おそらく世紀前五世紀末から前三世紀中葉ころであろう」と推測しています。
そしてこの経典からは、「弟子たちの生活や修行について」「修行者たちの衣食住について」「何に悩んで、その解決のためにどのような実践をしたか」「修行の結果、何を体得したのか」「当時の仏教教団の組織や問題点」などを知ることができます。

出家の動機と弟子たちの修行

仏弟子たちの出家の動機は様々ですが、『テーラガーター』を読んで注目すべきは、釈迦族出身の人が多いことと、他宗教から改宗した人が多いことです。当時のインドには様々な宗教や哲学がありました。例えば「快楽主義」「思考停止」「絶対的な神に頼る」「偶然論」「運命論」などです。
このような中で仏教は「苦しみは神がつくったのか、苦しみは自ら作るものであるか、苦しみは他によって作られるものであるか、苦しみは原因無く突然生じるものであるか」という質問に対して「苦しみは縁によって生じる」(『ウダーナヴァルガ』)という教えを説き、他宗教に満足できなかった多くの修行者を改宗させたのでしょう。
では弟子たちは、実際にどのような修行を実践したのでしょう。初期には「岩山」「山頂」「洞窟」「森」「林」「人の住まない荒地」「寒林」において頭陀行をしたと記されています。頭陀とは「ドゥータ」の音写で「ふるい落とす」「はらい除く」という意味ですが、乞食行をしながら執着を振るい落としたのです。『テーラガーター』にはこんなことばがあります。
「カッサパは、托鉢から帰って、岩山に登り、執着することなく、恐れおののきを捨てて瞑想する」
やがて仏教教団が大きくなると、寄進された祇園精舎や竹林精舎などでの定住生活へと移行していきます。すると共同生活のルールとして「律」が整備されるようになります。大迦葉(だいかしょう)などは屋外での修行を好んだようですが、舍利弗(しゃりほつ)は精舎での生活について推進派だったようです。例えば舍利弗の「村でも、林でも、低地でも、平地でも、聖者の住む土地は、楽しい」(『テーラガーター』)ということばが残されています。
『テーラガーター』を読んでいると煩悩、執着をはなれるということばがよく出てきます。煩悩とは「煩わし悩ます心のはたらき」の総称ですが、自己を修し、煩悩を制御することで、煩悩に支配されている自己を煩悩から解放するのです。
「たとえば大海の波のように、生と老いとが、あなたを圧倒する。だから、あなたは自己のよき島をつくれ。なぜなら、あなたには他によりどころがないからである」(カーティヤーナ 『テーラガーター』)
「形なきものよ。遠くへ行くものよ。独り住むものよ。いまや、わたしはあなた(心)のことばに従いはしない。諸々の欲望は苦しみで、辛苦で、大いなる恐怖である。わたしは、安らぎに心を向けて歩んでいこう」(ターラプタ 『テーラガーター』)
「顛倒の想いによって(心が対象を誤って捕らえてしまうことで)、あなたの心はすっかり焼かれている。情欲をともなう、美しい外形を避けよ。もろもろの形成されたものを自己とは異なる他のものであると見よ。苦しみであると見よ。自己と見てはならない。大いなる欲情を静めよ。くりかえし火をつけるな。心を統一し、よく心を安定して、不浄であると観ずる想いをもって、心を修めよ。身体について常に気をつけておれ。世を厭い嫌うものであれ」(ヴァンギーサ 『テーラガーター』)
こうした際に行われたのが「観の修行」で、特に強調されたのが「不浄観」でした。不浄観とは、人間の身体が不浄であると観察することにより、身体に対する執着を取り払う修行です。
「厭わしきかな、この身体は。悪臭を放ち、悪魔の徒弟であり、(不浄なものが)漏れ出ている。あなたの身体には九つの流れがあり、つねに(不浄なものが)流れている」(ナンダカ 『テーラガーター』)と観じたのです。

理想の境地 ―真の安楽とは―

こうした修行を通じ釈尊の追体験をしてきた仏弟子たちは、どのような境地に達したのでしょうか。『テーラガーター』には、理想の境地を得た時の弟子たちの素直な気持ちや感動が、感じたままに、時には比喩的な表現を用いて述べられています。
「うるわしいメロディで空の神は雨を降らす。わたしの庵は屋根を葺(ふ)かれ、風を防ぎ、快適である。そうして、わたしの心はよく安定している。さあ、空の神よ、もしも欲するならば、雨を降らせ」(ゴーディカ 『テーラガーター』)
「あたかも、白蓮華が、水の中に生じて成長するが、水に汚されることなく、芳香あり、麗しいように、ブッダは世間に生まれ、世間に住んでいるが、しかも世間によって汚されることがない。紅蓮華が水に汚されることがないように」(ウダーイン 『テーラガーター』)
「こちら岸から彼方の岸を求めていた私にとって、智慧を武器とし、仙人の集いにかしずかれていた師(ブッダ)は救いであった。煩悩に運ばれているわたしに、教えの精髄よりなるみごとにつくられた堅固な梯子を授け、私に恐れるなといわれた」(テーラカーニ 『テーラガーター』)
釈尊という仏に出会った弟子たちにとって、ブッダは励ましのことばを送ってくれる心強い師でした。ですからあとは、自分が恐れることなく梯子に足をかけるかどうかです。そしてその一歩を踏み出した時に修行者は真の仏弟子となったのです。
冒頭の方でも申し上げましたが、このことは、今を生きる私たちにもあてはまることです。釈尊が私たちに残してくれた教えの梯子に足を踏み出すかどうか……。今まで見てきた仏弟子たちのことばは、この、私たちが梯子に足を踏み出し「道を求める志」を抱いた時にはじめて生きたアドバイスとなって働き出します。そしてその時、私たちも真の仏弟子となり、ブッダの教えに守られるのです。それがつまり、私たちが仏と出会うことなのです。

(構成/智山教化センター)